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私のソウルメイト(51)

 
翌日から土曜日の食事のメニューをどうしようかと、家中の料理の本を引っ張り出して暇があれば眺め、悩んだ。しかし金曜日の夜、結局はすき焼きなどという超簡単な料理にすることに決めた。初めて作る料理は、自信がなかったからだ。土曜日の朝は日本食料品店に行ってすき焼きの材料を仕入れ、五時には準備も整い、七時に来るロビンを待った。エミリーは六時半にはワインを片手に現われた。
 七時になり、そわそわし始めたが、その五分後、ロビンは花束とワインを持って玄関先に現れた。ロビンはヨーロッパ風に私の両頬にキスすると、持ってきた花束とワインを渡してくれた。そして、居間にいたダイアナとエミリーに「初めまして」とにこやかに握手の手を差し伸べた。それから皆居間のソファーに座ったが、ぎこちない空気が流れた。初めて会うのだから、無理もない。
「ロビンさん、何していらっしゃるの?」エミリーが最初に口を切った。
ロビンは苦笑いしながら、
「何だか、警察の取調べを受けているみたいだな」と言い、
「貿易会社に勤めているよ」と答えた。
「どんな商品を扱っているの?」と、今度はダイアナが、目を輝かせながら聞いた。
「農産物から機械、おもちゃ、まあ、何でも取り扱っているよ。君たちは何しているの?」
やっと、会話がスムーズに流れ始め、ほっとした。
 ワイン片手にチーズやハムなどのおつまみを食べ、食堂に移って食事を始めた頃にはアルコールがまわってきたせいか、笑い声も聞こえてくるようになった。
「ロビンさん、ママをどう思いますか?」と酔いの回ったダイアナがロビンに質問を投げかけたときは、ドキッとした。
「いや、素敵な人だと思ったよ。君は素敵なお母さんを持って幸せだよ」と私の顔を見ながら答えたのを聞き、くすぐったい感じがした。
 社交の場では、政治と宗教の話はするなと言われているが、ダイアナは全くそのルールを無視して、オーストラリアのアフガニスタン戦争介入反対の議論をし始め、私をはらはらさせたが、ロビンはダイアナの意見を興味深そうに聞き、ダイアナに同意したのは幸いであった。
 あっと言う間に十一時を回っており、ロビンが帰るというので、彼の車までついて行って見送った。
「いい娘さんたちだね」と言ってくれ、また両頬にお別れのキスをして帰っていった。ダイアナとエミリーも彼を気に入ったようだった。
「あの人なら、ママが再婚すると言っても、反対しないわ」とダイアナは言った。
 私はそれから堂々とロビンとデートをし始めた。会社で会うことはなかったが、毎日メールをやりとりをした。そして週末、忙しい仕事の合間をぬって、ドライブに出かけたり、映画や食事を共にした。私たちの仲は急速に接近した。デートの時、一緒に手をつないで歩けるのが嬉しかった。私は彼の分厚い手のぬくもりを感じて幸せな気分に浸った。そして二週間経った日、初めてロビンの家で夜を共にした。私は彼の暖かい胸を枕にして眠る幸せをかみ締めた。それにもましてうれしかったのは、アーロンと違って彼は私の言うことを真面目に受け止めてくれるので、どんなことでも話すことができることだった。私たちは会うたびに話すことがありすぎて、話がつきなかった。ロビンの生い立ち、そして私の生い立ち。二人は今までの空白の時間を取り戻すために夢中だったのだ。ロビンは前にも聞いていた通り、両親はもうこの世の人ではなく、キャロリンという姉が一人いたが、アメリカ人と結婚してアメリカに住んでいて、会うことはほとんどないと言うことだった。日本の友人から姑、小姑の悩みをきかされることがあるが、そういう面では、アーロンと結婚した時も感じたことだが、オーストラリアでは配偶者の親類縁者に悩まされることはなかったのはラッキーだというほかない。

著作権所有者:久保田満里子

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プロフィール

2008年よりメルボルンを舞台にした小説の執筆を始める。2009年7月よりヴィクトリア日本クラブのニュースレターにも短編を発表している。 2012年3月「短編小説集 オーストラリア メルボルン発」をブイツーソリューション、星雲社より出版。amazon.co.jpで、好評発売中。

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