Logo for novels

ハンギングロック:後藤の失踪(12)

2月25日
 今日は新学期の第一日目だ。僕は朝9時からクラスがあるので、夕べ6時にラジオがつくように目覚まし時計をセットして寝た。目が覚めてもう朝かなと時計を見ると、まだ午前2時だった。僕は教師生活10年以上もなるのに、新学期の最初の日はいつも学生同様、いや学生以上に緊張する。それからもう一寝入り出来ると思ったが、なかなか眠れなかった。それからうつらうつらしたようだ。その間夢を見た。弘と祐一を連れて海辺を散歩している。風はさわやかでいい気分だった。桟橋の先で立ち止まって3人で海を眺めていると、雲行きが怪しくなり、にわか雨が降ってきた。慌てて子供たちを急きたてて、手で頭を覆って、近くの売店まで走って行き、その売店の軒先で雨宿りをした。その時突然思い出した。そうだ、今日は新学期が始まる日でこんなにのんびりしている時ではない。慌てて腕時計に目をやると、10時を回っている。確か今日のクラスは9時からだったはずだ。ここは、どこだろう。大学までどのくらいかかるだろう。パニック状態に陥ったとき、はっと目が覚めた。何だ、夢だったのかとほっとして目覚まし時計を見ると、午前5時になっていた。今また寝ると、寝過ごすことにならないかと心配になり、起きて、大学に早めに行った。まだ7時だった。大学ではまだ清掃のおばさんが忙しそうに窓を拭いているだけで、他に人影は見えなかった。その清掃員はフィリピン人の40代の女性で、いつも陽気で僕を見かけるとにっこり笑って声をかけるが、今日も
「ハーイ、ケイスケ。今日はやけに早いのね。どうしたの?」と窓を拭く手を休めないで言う。
「今日からクラスがあるからね。今朝は早く目が覚めたんだよ」
そういうと、
「あら、もうケースケは教師生活は長いんでしょ?それでも、クラスの前は緊張するの?」と笑った。
「いやあ、何年経っても、緊張するものは緊張するんだ」と答えた。
 9時になり、おもむろに教室に向かった。教室の中は久しぶりに会った学生たちが夏休みの出来事の情報交換で忙しいためか、僕が教室を入っても、おしゃべりが止まりそうもなかった。
「しずかに」と叫ぶと、やっと初めて僕がいることに気づいたように、僕のほうを皆が一斉に見た。
「僕は後藤ケイスケです。これから皆に自己紹介をしてもらう。名前とどうして日本語を勉強しているのか、いつから日本語を勉強しているのか、日本に行ったことがあるのか、まあ、そんなことを言ってほしい。勿論ほかに言いたいことがあれば、つけくわえてくれ」
こういうと、一人の大柄なアングロサクソン系の男子学生が手を挙げた。
「なんだ?」
「先生の日本語速くて分かりません。もう一度ゆっくり言ってください」
「それじゃあ、もう一度言いますから、よく聞いてください」と僕は同じ事をゆっくりと繰り返して言った。そして、「(1)名前、(2)いつから勉強しているのか、(3)日本に行ったことがあるか」と板書した。これで、分からないような学生はいないだろう。
僕は、手元にある学生の名簿を見て、学生が自己紹介をしている間に、その学生の外貌の特色を名簿の側に書いていくのに忙しかった。
 金髪で肌も白く大きな青い目が印象に残ったメラニーの名前の横には(美)と書いた。体が縦も横も大きいカールには(大)、ほっそりとしてポニーテールにめがねをかけ、いかにもインテリと言う感じのビクトリアには(めがね)などと書き込みをしていった。こうしておくと、後で名前を思い出すのに役に立つ。結局、日本に行ったことのある学生は30人、行った事のない学生が12人と、日本に行った事のある学生が大勢を占めた。その中には、日本の大学に留学したものも2人いた。毎年のことだが、学生の日本語能力のギャップの大きさが感じられた。ちなみにゆっくり話してくれと言った学生は、日本に一度も行っていないということだった。

著作権所有者:久保田満里子

 

関連記事

最新記事

カレンダー

<  2024-04  >
  01 02 03 04 05 06
07 08 09 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30        

プロフィール

2008年よりメルボルンを舞台にした小説の執筆を始める。2009年7月よりヴィクトリア日本クラブのニュースレターにも短編を発表している。 2012年3月「短編小説集 オーストラリア メルボルン発」をブイツーソリューション、星雲社より出版。amazon.co.jpで、好評発売中。

記事一覧

マイカテゴリー