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ヒーラー(24)

 一ヶ月ぶりに見る太陽の光は、まぶしかった。すぐに野上の手配した車に乗り、空港に向かった。車に乗っても、誰かに監視されているようで落ち着かず、絶えず後ろを振り返ってみた。何台かの車が後ろにいたが、つけられているのかどうか、さっぱり見当がつかなかった。道路は舗装はされていたが、走っている車は少なかった。
「野上さんはずっと私について北京に来てくれるんでしょうね?」
「ミョンヒ様からは、北京の日本大使館までご案内して帰ってくるように言われています」
それを聞いて安心した。右も左も分からない北京空港で「はい、さようなら」と言われたら、私は路頭に迷ってしまう。何しろお金だって一銭も持っていないのだから。もう、キムに追われることはないと思った。こんな醜い顔になってしまったのだから、私と見分けることは絶対出来ないとそれだけは自信があった。やっと、この国から抜け出せると思うと、心が弾んだ。ただジョンの身に悪いことが起こっていなければいいのだがと、それだけが気がかりだったが、ジョンに連絡する手立てがなかった。それに、たとえジョンに連絡したとしても、こんなに距離が離れてしまっているのだから、ジョンもどうしようもないだろう。それにキムの部下にまだ監禁されているのなら、私が戻らないとジョンに危害を加えると脅かされるのがおちだろう。ぼんやりそんなことを考えていると、空港への道表示が見えた。もうすぐで、空港だと思うと、心がはやった。前に座っている野上の顔がバックミラーに映っていた。これからの彼女の任務の重さを感じているためか、野上は深刻な顔をして、見るからに緊張していた。
空港で車を降りて、高麗空港のカウンターに足早に向かった。野上が持っているのはビジネスクラスの航空券だったため、ビジネスクラスのカウンターに行ったが、カウンターには誰も並んでおらず、すぐに座席を書いた切符をもらった。小さなスーツケースをカウンターに預けると身軽になった。私は野上からパスポートを受け取り、出国手続きの窓口に行った。野上は私の後ろについていた。出国の係官は黙ったまま私のパスポートを受け取り、コンピューターに何やら情報を入れていた。しかし、すぐにしかめ面になり、「ちょっと待ってください」と言うと、席を立ってどこかに行ってしまった。私はとたんに不安になった。パスポートに何か不手際があって、偽パスポートだとばれたのではないか。その時、どんな言い訳をしたらいいのか考えたが、妙案は浮かばなかった。1分もしないうちに係官は戻ってきたが、彼の後ろについてきた二人の男を見て、あっと驚いた。その一人は私をオーストラリアから連れてきたキムの部下の大男だったのだ。私は踝を返して駆け出した。その後を男たちが追ってくる足音がした。振り返る余裕はなかった。出国のため列を作っていた人々の間をかきわけて、必死で駆けた。しかし必死で走っているつもりなのに、足の回転が遅い。1ヶ月もベッドの上で過ごしたため、足の筋肉が萎えてしまっていたらしい。空港の出口が見えて、もう少しで空港の外に出られるというところで、一人の男の手が後ろから私の腕をつかみ引っ張った。結局すぐに捕まって、二人に両腕をつかまれ引っ立てられるように空港の一室に連れられていった。引っ立てられながら野上のほうを見ると、野上は申し訳なさそうな顔をしていた。野上に裏切られたのだ。そう思うと、この一ヶ月間で縮まっていた二人の距離が赤の他人のように、いやそれ以上にできてしまった。私の信頼を裏切った野上に対する怒りが一挙に噴出した。しかし、両腕をとられている私は何もできず、野上を睨みつけるのが関の山だった。野上は黙って突っ立ったままだった。

著作権所有者:久保田満里子
 

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プロフィール

2008年よりメルボルンを舞台にした小説の執筆を始める。2009年7月よりヴィクトリア日本クラブのニュースレターにも短編を発表している。 2012年3月「短編小説集 オーストラリア メルボルン発」をブイツーソリューション、星雲社より出版。amazon.co.jpで、好評発売中。

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