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百済の王子(32)

 豊璋が天皇から慰めの言葉をもらって一ヶ月もしないうちに、またもや、百済から使いが来た。この度の使いは佐平鬼室福信から送られた者であった。 豊璋は、そのため宮中にまた呼ばれた。


その使い、佐平貴智は、唐の捕虜100名あまりを連れてきて、天皇に献じた。そして、
「鬼室福信将軍は、今でも百済存続のために大唐と新羅の連合軍と戦っておられます。しかし、王のいない百済では人民一体となって戦うことは難しい状態です。ですから、今倭国におられます 豊璋様を王として迎え、 豊璋様に援軍をつけてくださいますようお願い申し上げます。我々百済の残党は、不利な戦いをしており、援軍は急を要します」と、言った。

それを聞いた天皇は、 豊璋に向かって、
「そなたに織冠位(しきかんい)を授け、5千人の兵をつけ、百済王として柵すことにします」と言った。今まで百済王を柵す、つまり承認していたのは、唐だった。日本が百済王を柵すのは初めてのことだった。

その後、思わぬことを言われた。
「豊璋殿は、妻子を亡くされ、独り身と聞いています。王となるからには、独り身なのは、よくありません。常々、豊璋殿にふさわしい者はおらぬかと、考えていたのですが、太安万侶の一族、多臣蒋敷(おおのおみこもしき)の妹が、よいと思っています。豊璋殿がわが国の女子を妻とされれば、百済と倭国とのつながりも強くなるというものです」

 豊璋は思わぬ展開に驚いてしまった。すぐにセーラのことが頭によぎった。しかし、天皇の申し出を受け入れないと、倭国の援軍は頼めなくなるかもしれない。そう思うと、この婚姻は自分ひとりのことでなく、国の存亡がかかっていることになる。私心を無くして、この天皇の申し出を受け入れようと決心するまでには時間はかからなかった。それに妻を娶ると言っても、セーラと別れなければいけないと言う訳ではない。王ともなれば、セーラを側室にすればいいことだと、考えた。
「我妻の心配までしてくださり、ありがたき幸せです」と、豊璋は答え、豊璋の婚姻はすぐに決まった。
宮中から帰る豊璋の胸のうちは複雑だった。

もう百済の国を見ることはできないだろうと思って、涙して離れた故国に帰れる。それだけでも嬉しいのに、王として帰れるとは、夢のような話であった。戦場に行って、戦って、勝たねばならないという重責が重石のようにのかってきたが、倭国に人質として骨を埋めるよりは、よっぽどましだと、気持ちを奮い立たせた。その後、婚姻のことが頭に浮かぶと、どうセーラに伝えればいいかと、気が重くなった。

屋敷に帰ると、心配顔のセーラが待っていた。
「どうなったのですか?天皇は、どのようにおっしゃいましたか?」と、せっつくように聞いた。豊璋はセーラの顔を正面から見るのを避けながら、答えた。
「百済の王として冊立すると言われた」
「え?百済の王様になられるんですか?それじゃあ、百済に帰られるんですか?」

セーラの目が輝いた。豊璋が王様になるのなら、私は妃?そんな気持ちが沸き起こった。そして百済なんて、まだ見たこともない国に対して、ムクムクと好奇心が頭をもたげかけた。

セーラの興奮したような声を聞くと、豊璋は興ざめしたように言った。
「百済は滅亡したのだから、百済を復興するために帰るのだ。天皇は援軍をつけてくださるとおっしゃるが、新羅と唐の連合軍が相手だ。厳しい戦いになるだろう」
「それじゃあ、私は一緒に百済に行く事は、できないのですか」
「戦いに行くのだ。お前を連れて行ける訳がない」

セーラの顔から血の気がひいた。
「それでは、永遠のお別れになるのかもしれないのですか」
「もしも百済を復興させることができたらお前を呼び寄せてやる。そんなに我が負けることが決まったような顔をするでない」と、セーラを慰めた。そして、婚礼のことはセーラには言わないことにした。

著作権所有者 久保田満里子

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プロフィール

2008年よりメルボルンを舞台にした小説の執筆を始める。2009年7月よりヴィクトリア日本クラブのニュースレターにも短編を発表している。 2012年3月「短編小説集 オーストラリア メルボルン発」をブイツーソリューション、星雲社より出版。amazon.co.jpで、好評発売中。

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