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百済の王子(38)

 豊璋が百済に帰国したことに勇気付けられたのか、百済の復興軍は勢いをまして、百済王の宮殿のあった都城を奪還するために、都城を包囲した。都城を守っていた唐の将軍、劉仁願は、多勢に無勢になって、篭城をしいられるはめになり、すぐに唐の高宗に、このことを知らせた。高宗は、すぐに劉仁軌に兵をつけて援軍を送った。それと同時に新羅軍にも援軍を出すように、命じた。
その頃、福信は、熊津江口に二つの柵を設けさせて、劉仁軌の軍と新羅軍を都城に行かせまいと、防衛にあたった。しかし、今までとは違い、この時の劉仁軌の軍と新羅軍の連合は、結束が強く、福信の率いる軍は戦いに敗れ、撤退を余儀なくされた。福信の軍が退却した後は、百済軍の兵士の屍がいたるところにあり、福信はこの戦いで一万人もの兵士を失ってしまった。退却した福信の軍は、任存城に引き上げた。新羅の軍は、都城の安全を確保したのを確認して、ひきあげていった。一方唐軍のほうは、劉仁願と、劉仁軌が合流し、兵を休ませたため、一旦休戦となった。その間、唐軍は、自分達だけでは都城を守る自信がなく、新羅の援軍を再び要請した。
新羅王の金春秋は、将軍金欽に命じて唐軍の救援に向かわせたが古洒で福信に迎撃されて、敗れて、葛嶺道から逃げ帰って、再び出撃することはなかった。福信は金欽の軍を敗退させたあと、道チンと兵の指揮体制をどうするかで対立した。百済軍を指揮する者が二人もいると混乱を起こすから、これから自分が総指揮をとると福信が道チンに言い渡したのだ。道チンは、それに反発して、
「我らは王様の家臣として同じように戦っているもの。どうして私がお前の命令を受けなければいけないのだ。私は王様の命令にしか従わん」と、顔を真っ赤にして怒った。
「その王様は、私が日本からお呼びしたのだ。王様の信任を全面的に得ている私が軍の総指揮をとるのは当然のことであろう」と、言うと、道チンは
「さては、お前は百済をのっとるつもりなのだな」と、剣をふりかざそうとしたところを傍らにいた福信の部下に、ばっさり切られてしまった。道チンに従っていた兵士達は血相を変えて、福信に襲い掛かろうとした。福信は、
「お前達は、道チンの部下なのか?それとも百済王の臣下なのか?我らの戦いの目的は百済復興にあることを忘れるな。これから私の支配下に入るのが嫌な者はここから去っていけ。しかし、百済の復興を願うのなら、我の元で一緒に戦おうではないか」と、彼らを説得しに掛かった。道チンの部下達の顔に迷いが見られ、悪態をつきながら、軍を去っていく者もいたが、ほとんどの者は、福信に忠誠を誓った。彼らは、福信を信頼しているわけではなかったが、軍を去った後行くべきところがなかったのである。
 豊璋は、福信の言葉に反発して軍を去った道チンの部下から、道チンが福信に殺されたことを聞き、顔色を失った。どうして、福信は仲間の道チンを殺してしまったのだろうか?権力を一手に収めるためではないか?そうとしか、思えなかった。だからと言って、福信を今咎めたてれば、それは敵軍の思う壺となる。これ以上の内部分裂は避けるべきだと判断した 豊璋は、福信を責めるのはやめようと、噴き上がりそうになる怒りをいったんおさえた。しかし、福信に対する不信感が、この時初めて芽生えた。
道チンがいなくなった後戦況は変わってきて、 豊璋が到着した当初優勢だった百済軍が、どんどん負け始めた。
「唐軍によって、支羅城が陥落しました」
「大山柵が陥落しました」
「沙井柵が陥落しました」
と来る知らせ、来る知らせが全部敗戦の知らせだった。
百済軍は新羅の兵糧の通路をさえぎっていたのだが、新羅と仁軌が一緒になって、関所としていた百済の城を攻略して、新羅の兵糧が唐軍に運ばれるようになり、唐軍の勢いは盛りかえしていった。
劉仁軌の要請で唐の孫仁師の指揮する援軍が、仁軌の軍と合流したのも、百済軍にとって、痛手だった。
百済の陣営では、不穏な空気が流れていた。負け戦に続いて、どうも王様と福信将軍の仲がうまくいっていないようだといううわさが、兵士の間で流れ始めた。
 福信が、「国の政はすべて王様にゆだねます」と誓っていたのに、豊璋の許可も得ずに兵士を動かし始めたのだ。文句を言おうにも、最近は、福信は「病に陥りました」と言って、 豊璋のところに顔を見せなくなった。豊璋の心には、道チンの死によって芽生えた福信に対する不信感が、どんどん膨れ上がっていた。
「自分をないがしろにして、兵隊達に勝手に命令をだしている。病と偽って、我の顔も見に来ぬ。けしからん!」と、憤りを感じていた。そんなおりに、倭国に豊璋を迎えに来た佐平貴智が、 豊璋に驚くべきことを告げた。
「王様。どうやら福信は王様がお見舞いにいらしたときに、王様を待ち構えて、暗殺しようと、企んでいるようです」
 豊璋は、うすうす福信は謀反をたくらんでいるのではないかと心の中で思っていたので、すぐに福信を成敗しなければならぬと、決断した。
「福信を成敗しに行く!」と 豊璋は佐平貴智以下数名の腕の立つ信頼できる部下を連れて、福信が病に伏せているという周留城内にある窟室に向かった。
福信は、王が突然訪れるとは思ってもいなかったので、血相を変えた王が、剣を抜いた部下を連れて現れたときには驚いた。
「この者を引きずり出せ!」という 豊璋の命令で、福信は洞窟から引っ張り出され、掌をやりで打ち抜かれ、あいた穴に皮ひもが通されて、後ろでに縛られた。福信は苦痛で顔をゆがめ、うめき声をあげた。
自分の前にいる福信を、このまま殺してもいいものかどうか、 豊璋に迷いが生じた。それというのも、福信ほど武人として優秀な将軍は百済軍にはいない。彼を殺せば、敵軍を喜ばせるだけだ。しかし、このままほっておくと、敵にやられる前に、この男に自分が殺される。どうすればいいか。自分一人では、決めかねて、一緒に来た部下達の意見を聞いた。
「福信は王である私を暗殺しようとした。この者を斬るべきであろうか?」
 豊璋の問いかけに、すぐに達率徳執得が答えた。
「この謀反人を、許してはいけません」
これを聞いた福信は、憎憎しげに執得をにらむと、つばをはきかけ、
「この腐った犬のようにガンコな奴め」と、ののしった。
 豊璋はそれを見て、たとえここで福信を許したとしても、害にはなっても得るものはないと判断し、
「この者の首を切り、塩漬けにせよ」と、命じた。
死刑はすぐに実行された。福信の首が飛び、血吹雪が散った。これによって、 豊璋は右腕をなくしたことになる。後は頼りになるのは、外国からの援軍である。倭国にすぐに兵を送ってほしいと遣使を送り、高句麗にも助けを求めた。高句麗と百済は、もとをたどれば、建国者が兄弟だったということもあって、新羅に対してよりは、親密感があった。百済は、高句麗を開国した朱豪(チュモン)の妻のソソノ王妃の連れ子によって、建国された国である。豊璋は、敵が押し寄せる前に援軍が来るのを祈るような気持ちで待った。

著作権所有者 久保田満里子
 

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2008年よりメルボルンを舞台にした小説の執筆を始める。2009年7月よりヴィクトリア日本クラブのニュースレターにも短編を発表している。 2012年3月「短編小説集 オーストラリア メルボルン発」をブイツーソリューション、星雲社より出版。amazon.co.jpで、好評発売中。

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