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呉キッド(1)

私に初めて呉キッドについて教えてくれたのは、高校時代の友人、中川美香だった。

美香から次のようなメールをもらったのが、きっかけだった。

「いつこさん

私が大学時代寮で部屋をシェアしていた香坂雅子さんのことを覚えていますか?

実は彼女が最近になって、父親を探しにオーストラリアに行きたいと言っているのですが、オーストラリアに着いたら、彼女の手助けをしてあげてくれませんか?あなたも知っているように、彼女、外見は外人なのに、全く英語が話せないので、あなたが面倒を見てあげてくれると助かります。                 美香」

私は、香坂雅子のことは、よく覚えていた。色が白く、髪はウエーブかかった茶色で、まつげが長くて目が大きく、まるでフランス人形のような子だった。きっと父親か母親は外人なのだろうと思ったが、余りそんなことを詮索すべきではないように感じて、彼女の親について聞いたことはなかった。美香のルームメイトとして、挨拶くらいは交わしても、個人的に話をしたことはなかった。ただ彼女の外見からして英文科の学生で、英語はペラペラなんだろうと思ったら、国文科の学生で、英語はてんでダメだと聞いて、なんだかおかしかったのを覚えている。

美香の最初のメールは簡潔すぎて、よく事情が分からないので、もっと具体的にどんなことを私にして欲しいのかを知らせてほしいと言ったら、美香から長い返事が来た。

「イツコさん

呉キッドって聞いたことがありますか?戦後進駐軍としてオーストラリアの兵士が呉に配置されたのですが、その兵士たちと、日本人女性の落とし子は呉キッドとオーストラリアでは呼ばれていたと聞きましたが知っていましたか。私は最初この言葉を聞いた時は何のことか分かりませんでしたが、キッドって子供って言う意味なんですってね。呉には百三十五人ぐらいそんな子がいたそうですが、父親とは連絡を絶たれ、母親だけに育てられるか母親にも見捨てられ孤児院に預けられたり、アメリカに養子に出された子が多かったそうです。実は雅子は呉キッドだったんです。あなたは広島市出身だから呉市のことは余り知らないかもしれないけれど、日本で育った呉キッドは、日本人の偏見などで、いじめられ、悲惨な生活を送った人が多かったそうです。その中で、雅子は異例の存在だったんです。彼女も自分の父親を知らないで育ったそうです。その頃、オーストラリア政府は、自国の兵士が日本人女性と付き合うことさえ禁止していたそうで、命令に背いた兵士は、強制送還させられたそうです。その頃のオーストラリアは白豪主義の国で白人以外の移民を拒否していたし、ましてや戦争中、日本軍の捕虜となったオーストラリアの兵達が、タイ―ビルマ鉄道を建設するために食べ物もろくに与えられず労働に駆り出され、多くの兵士が死んだことから、日本人は残虐であるという定評がたっていたので、日本人は一人たりともオーストラリアの土を踏まさないとオーストラリアの政治家も一般人も、息巻いていたそうです。だから、日本人女性を妻として連れて帰りたいと言う兵士の願いは長い間無視されたそうです。

雅子が後で、おじさんから聞いたところでは、強制送還される父親を見送りに行った母親は、出航する船に向かって、黙って深々と頭を下げて、船が見えなくなった後も長い間動かなかったそうです。きっとお母さん、泣いていたのでしょうね。その時、お母さんは、妊娠していたことをお父さんに伝えることもできなかったそうです。

今でも、戦後外人の兵士と付き合っていたのは水商売の女だけだと誤解している人が多いようですが、雅子のお母さんはちゃんと女学校も卒業して、進駐軍に雇われて、事務所で会計の手伝いをしていたそうです。呉キッドの母親の3分の1は基地で働いていた女性で、3分の2は密かに結婚式をあげていたそうです。パンパン、いわゆる売春婦だったのは5%-10%位だったという報告を読んだことがあります。

お母さんは、強制送還された父親とは音信不通になり、進駐軍の仕事も解雇され、色々な農家の下働きをしたりして、雅子を育てたそうです。

雅子は、他の子どもと違って、頭が良かったので、呉キッドの話を聞いて同情したオーストラリアのキリスト教会の会員が出資した奨学金で、大学に行くことができたんだそうです。

雅子はずっと自分の父親がどんな人だったのか、会ってみたかったそうですが、父に会いたいと言うと、母親を裏切るようで、ずっと、その思いは胸に秘めていたそうです。でも、今年の1月お母さんが亡くなり、父親探しを本格的にしたいと言い出したのです。

そういう訳ですから、一ヶ月くらいそちらに泊めてやって、一緒に雅子のお父さんを探してくれませんか?オーストラリアにいる日本人で、こんなこと頼めるのはあなたしかいなくて、お願いしています」

私は、雅子が、父親も知らず、厳しい環境に育った人だと聞いて、内心驚いた。いつも明るく笑いの絶えなかった雅子に、そんな暗い過去があったとは、思いもしなかった。ハーフって、可愛くて羨ましいと思ったくらいだから、ハーフの子がいじめられていたというのも驚きであった。私の夫はオーストラリア人なので、私の娘も、ハーフである。娘を日本の幼稚園に半年ばかり通わせたことがあるが、その時、可愛いと言ってチヤホヤはされても、いじめられた形跡はなかった。これも時代の移り変わりなのかもしれない。何しろ、雅子も私も65歳の熟女である。つまり65年前の話である。

娘も独立して家を出て行った今、退屈していたところだったので、私はすぐに美香の依頼に全面的に応じることにした。夫にも話したが、夫は彼女を我が家に泊めることに異存はなかった。

雅子が来る日、私は空港まで迎えに行った。たとえ50年近く会っていなくっても、分かるだろうと思っていた。ところが税関をすませて出てくる人たちを一人ひとり目を皿のようにしてみたが、いつまでも雅子らしき人物は出てこない。時計を見ると、飛行機が着陸して1時間は経っていた。

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プロフィール

2008年よりメルボルンを舞台にした小説の執筆を始める。2009年7月よりヴィクトリア日本クラブのニュースレターにも短編を発表している。 2012年3月「短編小説集 オーストラリア メルボルン発」をブイツーソリューション、星雲社より出版。amazon.co.jpで、好評発売中。

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