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おもとさん世界を駆け巡る(14)

パリに到着したという手紙をフレデリックから受け取って2か月たった頃、おもとさんのもとに、この2か月間音信不通だったフレデリックから待ちに待った手紙が来た。この2か月の間、おもとさんは不安に駆られて毎日お寺参りをしていたくらいだ。
「パリを6月20日に出て、日本に帰ることになった。横浜閉港の同意はどうしてももらえず、諦めることとなった。井土ケ谷事件の犠牲者になったカミュ少尉の遺族に使節団が直接会って謝罪することを申し入れたが、断られた。しかし、19万1500フランの賠償金を遺族に払うことで決着がつき、あとで、カミュ少尉の父親から感謝の手紙をもらったよ。フランスの軍艦を買う話も出たが、今フランスが持っている軍艦では適当なものが見つからず、この度は断念することになった」
これで、パリでのフレデリックの行動が分かるが、フレデリックはおもとさんに言わなかったことが一つある。それは、パリで知り合った女を連れて、イギリスに出かけたことである。その頃、外国のお金への換金や送金は容易ではなかった。幸いにも、第二使節団が出発する前年の1863年3月に、英国のウエスタン・インディア・セントラル銀行が横浜にできた。日本に初めて進出した外国の銀行である。第二使節団が出発する1864年にはこの銀行のほかにインド・ロンドン・チャイナ・チャータード・マーカンタイル銀行やインド・コマーシャル銀行などが進出していたが、フレデリックはセントラル銀行を利用して、使節団の費用30万ドル(メキシコドル)をイギリスに自分の名義で送金していた。5月24日フレデリックはそのお金を受け取るために、ロンドンに出かけたのだが、ロンドンのホテルに現れたフレデリックは女連れであった。宿帳には、フレックマン夫妻と書かれていたが、その頃、おもとさんは出産のために日本に残っているので、その女性はおもとさんではない。ロンドンでの滞在は2日でしかなかったが、その女性が誰なのか、謎に包まれている。
 おもとさんは、そんなことは知らず、フレデリックの帰りを待ち続けた。おもとさんの腕には、三人目の子供、ネリーが抱かれていた。


著作権所有者:久保田満里子
 

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プロフィール

2008年よりメルボルンを舞台にした小説の執筆を始める。2009年7月よりヴィクトリア日本クラブのニュースレターにも短編を発表している。 2012年3月「短編小説集 オーストラリア メルボルン発」をブイツーソリューション、星雲社より出版。amazon.co.jpで、好評発売中。

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