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行方不明(5)

 うちに帰ったら、姑は「お茶でも飲みましょうよ」と言い、ぼんやりソファーに腰掛けた静子を片目で見ながら、「紅茶はどこ?コーヒーカップは?」と問いかけながら紅茶をいれてくれた。静子は、イギリス人が困ったことに出くわすと、「ともかくお茶でも飲もう」と言うのをテレビ番組で見慣れていたが、40年前イギリスから移民として来た姑も、その習性が残っているようだった。静子は、自分より動転しているだろうと思っていた姑が、案外しっかりしているのにも驚いた。紅茶を飲んでいると、ジョンから電話がかかって来た。
「今出張から帰って来て、電話のメッセージを聞いたんだけど、どうしたんだ」
「実は、夕べからトニーの行方が分からないの」と涙声になりながら答えた。
「警察には届けたの?」
「ええ。でも、何かの事件に巻き込まれたという確証がない限り、どうもしようもないと言われたわ」
「ともかく、今晩仕事が終わったら、そちらに寄るから」

 独身で彼女もいないジョンは身軽なせいか、今までも予告なしにひょっこり遊びに来ていたが、心もとない思いをしている静子には、ジョンの言葉はありがたかった。会社に電話して、トニーの上司に事情を説明しなければいけない。静子は、余り自分の英語に自信がなかったが、姑に電話してもらうのもためらわれ、頭の中でどう言えばいいか文を組み立て、英語の文がまとまったところで、会社に電話した。出てきたのは、受付嬢だった。
「もしもし、ギルバート課長とお話したいのですが」
「どなたですか?」
「トニー・ジョーンズの妻の静子ですが」
「ああ、静子、元気?ちょっと待ってね」と事務的だった受付嬢の声は、人懐こい声に変わった。会社の年末のパーティーで一度だけしか会ったことがないが、日本人は静子だけだったので、静子のことを覚えているようだった。しばらくして
「ギルバートです」と、低くて貫禄のある課長の声が聞こえた。
「トニーの妻の静子ですが」
「ああ、静子。トニーは今日は休むのかね?」
「ええ。実は、夕べからトニーの行方が知れないのです。」
「えっ?行方不明?警察には届けたのかね?」
「ええ、警察にも届けましたが、今どこにいるのか分からないのです」
ギルバートの声は不安げになった。
「変な事件に巻き込まれたのでなければよいのだがね」
「あのう、会社で何か問題でもあったのでしょうか?」
「問題?問題なんてないよ。まさか、仕事のことで悩んで自殺したなんて考えているんじゃないだろうね」
「いえ、そんなことはありませんが、いなくなった原因が少しでもつきとめられればと思いまして」
「うーん。気持ちは分かるが、仕事で何か悩んでいたなんてことはなかったよ。ともかく見つかったらすぐに連絡してくださいよ。余り悪いことを考えないほうがいい。きっと帰って来るよ」
ギルバートは静子の不安を拭うかのように、きっぱりとした口調で言うと電話を切った。

 トニーは、どうしたのだろう。色々な可能性が静子の頭の中を駆け巡り始めた。計画的に家出をしたということは全く考えられない。うちには彼の衣類は手つかずのままだ。自殺の可能性は?全くないとは言えないが、自殺の原因になるようなことが思い浮かばなかった。結婚生活だってこれと言って問題はなかったし、ギルバートは仕事は順調だと言っていた。何か不測の事態が起こったことしか考えられない。ひき逃げにあった?路上で何者かに突然襲われた?殺された?考えは悪い方に悪い方にと傾いていった。考えているうちにひどい頭痛に襲われ、静子は姑に断って、ベッドの中に倒れ込んで、そのまま眠りについた。



次回に続く.....

著作権所有者・久保田満里子

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プロフィール

2008年よりメルボルンを舞台にした小説の執筆を始める。2009年7月よりヴィクトリア日本クラブのニュースレターにも短編を発表している。 2012年3月「短編小説集 オーストラリア メルボルン発」をブイツーソリューション、星雲社より出版。amazon.co.jpで、好評発売中。

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