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おもとさん世界を駆け巡る(24)

おもとさんは踊りだけでは物足らず、綱渡りに魅せられて、綱渡りの練習に没頭した。早く一座にもっと貢献をしたいと思ったからだ。最初の頃は裸足で綱の上に立つだけでも、よろけてた。足の親指と2番目の指で綱をしっかり締め付けて、一歩足を進める。うまくいったと思ったら、5歩くらい歩けば綱から落ちてしまう。落ちても落ちてもおもとさんは諦めることなく、繰り返し練習を重ねた。1か月の猛特訓で、1メートルくらいは歩けるようになった。しかし1メートル歩けるくらいでは、ショーには出してもらえない。やっと自信をもって綱渡りができるようになったのは半年たったころである。その間綱から落ちるたびに打ち身をしたので、体はあざだらけだった。それでもおもとさんは諦めなかった。
 おもとさんが綱渡りの訓練に熱中していた頃、タンナケルが団員の若い踊り子、おタケさんと親し気にしている姿を時折見かけるようになった。最初は、気にも留めなかった。自分にはタンナケルとの間に3人の可愛い子供がいる。だからタンナケルが馬鹿な真似をするはずはないと、変な自信があったのだ。
 ところが、アメリカからイギリスのリバプールに渡り、それからすぐにアイルランドのダブリンやベルファスト、そしてスコットランドに渡ってグラスゴーやエジンバラと興行を続けていくうちに、誰の目から見てもタンナケルとおタケさんの仲は普通ではなくなっていった。その頃、タンナケルはグレート・ドラゴン一座の興行主、バートと金銭的トラブルをおこし、エジンバラでグレート・ドラゴン座は解散の憂き目を見た。そのストレスもあってか、タンナケルは不機嫌なことも多くなり、おもとさんはおタケさんとの浮気を攻めようものなら、おもとさんに手を挙げるようになった。そのあとおもとさんは、自分から気持ちが離れていくタンナケルの仲を嘆きながら、悲しみを紛らわせようと、綱渡りの訓練にますますのめり込み、おもとさんの綱渡りは、観客を魅了した。9月24日のエジンバラの興行が終わると、タンナケルはおもとさんをイギリスに残したまま、オタケさんと他5名の曲芸師を連れて日本に旅立った。
出かける前に、タンナケルから宣告された。
「おタケさんの故郷の長崎に寄って、僕はおタケさんと結婚するつもりだ」
一方的な宣告に、おもとさんは頭が真っ白になってしまった。おもとさんはタンナケルと結婚していたつもりだったが、おもとさんの実家の反対もあって、正式に籍には入っていなかった。だから、法的にもタンナケルをとめる手立ては全くなく、無力感に陥った。

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プロフィール

2008年よりメルボルンを舞台にした小説の執筆を始める。2009年7月よりヴィクトリア日本クラブのニュースレターにも短編を発表している。 2012年3月「短編小説集 オーストラリア メルボルン発」をブイツーソリューション、星雲社より出版。amazon.co.jpで、好評発売中。

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