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ピアノ熱(1)

細く長い指が鍵盤の上を流れるように動く。それに連れて長い金髪の髪がゆさゆさ顔にかかるさまを見て、文子は魂を奪われたように見とれてしまった。その指からかもしだされるピアノの旋律は美しく、文子はその指の持ち主、スティーブンにほれ込んでしまった。スティーブの演奏が終わると、手が痛くなるほど拍手をし、再び現れたスティーブンが小曲を弾いてアンコールの演奏も終わり、幕が完全に下りてしまった。それでもいつまでもコンサートの余韻を楽しむようにうっとりして席を立とうとしない文子に、コンサートに一緒に来た明子が、「文子さん、もうコンサート終わったわよ。早く帰りましょ」と声をかけなければ、一晩中そこに座っていそうだった。明子にせかされて席を立った文子は、「あのピアニストの指、まるで魔法のようね。あんなにきれいな音を出せるんだから。私、ピアノ、習うことにしたわ」と宣言した。明子は少し驚いたようだった。なにしろ明子も文子もそれほど音楽好きと言うわけでもなく、この度もコンサートに来られなくなった友人に、券を無料でもらったから来たのだ。
「ねえ、スティーブンにピアノを習うこと、できないかしら?」と文子が言うのを聞いて、音楽のことにうとい明子は、「たぶんウエブページがあると思うから、調べてみたら」と、答えた。
その晩、家に帰ると早速インターネットで調べると、あるある、スティーブの舞台姿を大写しにした写真が載っていた。ピアノを前にしたスティーブンは、
文子と同年代、30代の始めと思われ、彫りの深い顔はハンサムでかっこよかった。ウエブページを読むと、ピアノの演奏だけでなく、教えていると書かれていて、文子の胸は躍った。幸いなことに彼のピアノ教室の場所も車で30分でいける場所だった。早速メールで、レッスンを申し込んだ。レッスン代は一時間70ドルとちょっと高いけれど、文子にはこれといった趣味はなく、薄給でもレッスン代くらいは払える。
翌日会社から戻ると、スティーブからのメールが入っていた。心弾んでメールを開けると、
「週末はあきがありませんが、週日の6時以降ならレッスン、可能です」と、メッセージが入っていた。
すぐに返事を出して、文子は次の週の木曜日午後7時から8時までレッスンを受けることにした。明子が驚いたのは、文子がすぐにピアノを買いに行った事だ。確かにうちにピアノがなければ練習もできないだろうけれど、いつまで続くのかしらと、明子は危ぶんだ。文子はそんな明子の思惑を一笑に付した。
「絶対、続けて見せるわよ」
文子はその週末、iTuneでピアノ曲を手当たりしだいダウンロードして、その週末は朝から晩までピアノ曲を聴いて過ごした。

著作権所有者:久保田満里子

 

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プロフィール

2008年よりメルボルンを舞台にした小説の執筆を始める。2009年7月よりヴィクトリア日本クラブのニュースレターにも短編を発表している。 2012年3月「短編小説集 オーストラリア メルボルン発」をブイツーソリューション、星雲社より出版。amazon.co.jpで、好評発売中。

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