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船旅(9)

光江は、「アマンダの連絡先なんて、旅行の申し込み用紙にも書いてあるだろうし、外国にいるわけだから、パスポートを見ればわかるだろうに、どうして私達に聞いたのかしら?」と、ニールに聞いてみた。
「それは、僕たちがどのくらい彼女のことを知っているか、探りたかったからだろう」
「で、あなた。本当は知っているんじゃない?」と光江が疑わし気にニールを見た。
ニールはまじまじと光江の顔を見ると、深刻な顔をして言った。
「実は今は言えないけれど、アマンダの死んだ原因が分かるような気がするんだ」
「え?あなた、アマンダを殺した犯人、知っているの?」
「直接手を下した犯人は分からない。でも、彼女が危険な状態だと言うことは、知っていたよ」
「アマンダが危険だったって言うのなら、犯人に心当たりがあるあなただって、危険になるということじゃない。そんな危険を冒すより、ここは、香港の警察に任せたら」
「香港の警察を信用できれば、それにこしたことはないんだが」
そして、深いため息をつくと、ニールは言った。
「明日から一人で行動しようと思うんだ。カレンたちに頼んでおくから、君はカレンたちと一緒に香港の観光をしてくれ」
光江は、驚いて、抗議をした。
「そんなの、いやよ。特にあなたが危険を冒して出かけていくなんてこと、許せるはずがないわ」
ニールはうつむいてじっと考えていたが、急に顔を上げると思い詰めたように言った。
「実は、僕は君に秘密にしていたことがあるんだ」
「それって、やっぱりアマンダはあなたの愛人だったっていうこと?」
光江の目は吊り上がり、知らず知らずのうちに声を荒げていた。
「違うよ。そんなんじゃないんだ。これは絶対に守らなければいけない秘密があるんだ。君が絶対にこの秘密を守ると約束してくれなければ、この秘密は話せない」
光江はニールの鋭い目を見て、深くうなずいた。
「絶対秘密を守るわ」
「もし、君が僕との約束を破ったりすれば、僕の命も危ないんだ。だから、今から話す秘密は絶対誰にももらさないでほしい。子供達にもだ」
「分かったわ」
光江は姿勢を正して、ニールの次の言葉を待った。
「実は、僕はずっとASIOの諜報員だったんだ」
「ASIOって、オーストラリアの諜報機関のこと?」
「そうだ。僕は仕事の性格上、君にはそのことを言えなかった」
「で、アマンダと、それがどう関係があるの?」
「アマンダも諜報員だったんだ」
「じゃあ、二人ともスパイだったってこと?」
「そうだ。僕は65歳になって退職したのだが、今度アマンダを手助けしてやってくれないかと頼まれて、今度だけと言う条件でOKしたんだ」
「どんなことを頼まれたの?」
「今、香港で民主化運動が盛んになっているだろ?」
「ええ」
「中国政府は、この民主化運動を抑え込むのに手を焼いていて、どんどん秘密裏に人権派の弁護士を色んなでっち上げの理由をつけて、逮捕し始めたんだ。その弁護士の中に、リー・タンと言う若手弁護士がいるのだが、彼はオーストラリアと中国の両方の国籍も持っている人物なんだ。そのリーがオーストラリア政府に保護を求めて来たんだ。彼の同胞たちがどんどん逮捕され、どこに行ったか分からなくなっている今、自分にも中国当局の手が伸びて来るには、時間の問題だと言ってきたんだ。それで、リーを秘密裏に国外に連れ出すと言う命令をアマンダが受けたんだ。彼女一人ではできそうもないと言うので、退職していた僕まで駆り出されたっていう訳だ」
「それじゃあ、アマンダは中国側のスパイにでも殺されたって言うこと?」
「その可能性が高い。だから、香港の警察に捜査を任せるわけにはいかないんだ。アマンダが死んでしまった以上、リーを国外に連れ出すのは、僕一人にゆだねだれたと言うわけだ」
「で、どうやって、リーを連れ出すつもりなの?」
「詳しいことは、君は知らないほうがいいだろう。それでないと、君まで危ない橋を渡ることになるから」
「そんな」光江の口からは、次の言葉が出てこなかった。それでなくても、ニールがスパイだったと言うことを初めて聞かされて、そのショックから立ち直るのには、時間がかかった。


著作権所有者:久保田満里子
 

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プロフィール

2008年よりメルボルンを舞台にした小説の執筆を始める。2009年7月よりヴィクトリア日本クラブのニュースレターにも短編を発表している。 2012年3月「短編小説集 オーストラリア メルボルン発」をブイツーソリューション、星雲社より出版。amazon.co.jpで、好評発売中。

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