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船旅(10)

気が落ち着いた所で、光江はニールに聞いた。
「で、私は、どうすればいいの?」
しばらく沈黙が続いた後、ニールは考えながら答えた。
「君は、これまで通りにしておいてくれ。それでないと、僕がアマンダの仲間だと分かってしまうと、まずい」
「分かったわ、明日は、じゃあ、私一人でビクトリア・ピークにでも行ってくるわ」
「一人で行動するのは心配だな。リンダたちと一緒に行動した方がいいんじゃないか?そして、携帯はちゃんと充電して、いつでも僕から連絡できるようにしていてくれ」
「で、何時に船に戻って来れそうなの?」
「午後10時までに戻って来なかったら、アマンダの上司に連絡してくれ。上司の名前はトニー・ストーン。携帯に彼の電話番号を登録しておくよ」と言って、ニールは光江の携帯をとって、オーストラリアの電話番号を入れた。
「トニーは、一応キティと言う、文房具店の店主と言うことになっている。だから、そのつもりで電話をしてくれ」
「分かったわ」と言うと光江の体は緊張でこわばった。
 その晩、光江は思わぬ成り行きになかなか寝付けなかった。冷たい海で上向けになって漂っているアマンダの死体を想像すると、体に悪寒が走った。そして、ニールの自分の知らなかった顔。普通のサラリーマンだとばかり思っていたのに、スパイだったなんて。よく出張に出かけたが、その度に色んな女性と一緒だったと聞いて、てっきり浮気をしているんだとばかり思った。でも、仕事の相棒だったと言うことも考えられる。そして、アマンダにもニールにも聞きそびれてしまったが、ニールがアマンダの部屋から出て来た時の気難しそうな顔の原因。きっと、仕事の打ち合わせをしていたのに、違いない。
 翌朝目が覚めた時は、時計が9時を指していた。慌てて起き上がると、すでにTシャツとカジュアルなズボンをはいたニールが、傍に来て、
「じゃあ、行ってくるよ」と、光江の口に軽くキスをした。
「もう、出かけるの?」
「うん。できるだけ早く仕事を済ませて来るよ」
「気を付けてね」
光江はいつも口癖になっている言葉を口にし、今日は本当に気を付けてほしいと強く思った。


著作権所有者:久保田満里子
 

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プロフィール

2008年よりメルボルンを舞台にした小説の執筆を始める。2009年7月よりヴィクトリア日本クラブのニュースレターにも短編を発表している。 2012年3月「短編小説集 オーストラリア メルボルン発」をブイツーソリューション、星雲社より出版。amazon.co.jpで、好評発売中。

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