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足立良子さんの物語(5)

彼女がライフワークとして取り掛かったのは、第二次世界大戦で、日本軍の捕虜になったオーストラリア人の話。日本軍に残虐な仕打ちを受けたオーストラリア人捕虜の話はオーストラリア社会ではよく知られているが、日本人でその実情を知る人は少ない。またたとえそんなことを聞いたとしても、日本人なら、耳にふたをしてしまう人が多いことだろう。それなのに、そのテーマに敢えて挑戦した良子さんに、その動機を聞いて見ると、次のような答えがかえって 来た。
「1980年代の中ごろから日豪関係が急速に良くなって来たけれど、その陰に太平洋戦争に起因する反日感情、反日とまでいかなくても日本に対する複雑な感情があるのを感じられたの。私が来た1973年頃は、アンザックデーには家に隠れているようにと総領事館から日本人コミュニティーに警告が出されていたくらいだから。その日にはいつも決まって日本軍のオーストラリア捕虜に対する仕打ちがメディアで取り上げられたんですもの。それに、退役軍人会のビクトリア州会長のブルース・ラクストンと言う人は、ことあるごとに反日感情をむき出しにして、メディアにもよく登場していたわ。私は、本当の友好関係を築くためには、お互いのことを良く知ることが必要だと思うのよね。だから、オーストラリア人の本心を知りたいと思うようになったの」
 2000年にこのテーマに取り掛かりって5年。200人近くの戦争捕虜だった人達をインタビューして、2005年に「Shadows of War」として出版にこぎつけた。その時一番心強かったのは、ご主人のアンドリュー・マカイ氏が共著者になってくれたことだったそうである。そのマカイ氏との出会いも運命的なものを感じさせる話だった。
 マカイ氏は、今は廃刊になっているヘラルド・サンと言う夕刊紙の新聞記者だった。良子さんがメルボルンに住み始めて間もないころ1緒にお食事をして映画を見ると言うデートを1度だけしたことがあり、その後8年間も会う機会がなかったそうだ。それと言うのもマカイ氏がアメリカに派遣され、4年間もアメリカに移り住んだからだ。その間、お互いの消息も知らなかったのだが、メルボルンに戻った後、アンドリューがコマーシャルロードをドライブ中に、赤信号で止まってバックミラーーを見たら、なんとすぐ後ろの車を運転したのは、良子さんだったのである。すぐに車を降りて、後の車の運転席に座っていた良子さんに声をかけた。それが、8年ぶりの再会となった。この時良子さんはセントキルダロードにあった領事館に日本語を教えに行くところだった。信号はすぐに青に変わり、後ろに続いていた車の列は警報を鳴らしたり、口笛を吹いたり、ヤジを飛ばしたり。二人はわき道に入って、簡単に消息をかわした。真面目な良子さんが、生涯で一度だけクラスに遅刻したのも、後にも先にもこの1回きりである。その2カ月後、良子さんのアパートにアンドリューさんが移り住み、結婚したとか。
「元戦争捕虜の人たちに、インタビューを申し込んでも、日本人の私一人だったら断られただろうと思うの。日本人にかかわりを持ちたくないと言う人も多かったから。だから夫には本当に感謝しているの」と、良子さんは言う。インタビューにはいつも罵倒されることを覚悟で臨んだ。ご主人が一緒だったためか、面と向かって罵倒されることはなかったが、「この家に日本人が入ったのは初めてだ。日本人だけは家に入らせないつもりだった」とか、感情がほとばしると、「ジャップ」と言う言葉が盛んに出てくる。そして、ハット気づいて、「すみません。ついつい気がたかぶって」と謝られると、この人達は私が日本人だから、遠慮しているのではないかとの疑問が頭をもたげる。では、本当に自由に思う存分言ってもらうためには、どうしたら良いか。そこで、アンケートと言う形をとって、資料を集めることにした。そのアンケートをまとめたものが、「Echoes of War」だった。

ちょさく

 

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プロフィール

2008年よりメルボルンを舞台にした小説の執筆を始める。2009年7月よりヴィクトリア日本クラブのニュースレターにも短編を発表している。 2012年3月「短編小説集 オーストラリア メルボルン発」をブイツーソリューション、星雲社より出版。amazon.co.jpで、好評発売中。

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