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岡上理穂さんの物語(2)

久保田:いつ、どんなきっかけで、ポーランドに興味を持つようになりましたか。
岡上:私は上智大学でロシア語を専攻しました。だから、もともと東欧そのものには興味があったんです。ロシア語を習うかたわら、もう一つスラブ系の言語を習いたいと思っていました。それじゃあ、スラブ系の言葉って何があるかなと言うと、チェコ語とか、ユーゴスラビアの言語や、ポーランド語とか、色々あります。ポーランドがいいかなと思ったのは、ポーランドのイメージが良かったからです。それにポーランドに関わっていた人が多少身の回りにいたんです。一人は私のロシア語学科の先輩で、外務省でポーランド関係の担当をされていた方で、その方から色々お話を聞いたりしました。もう一人は、大学のロシア語の先生の親友で、ワルシャワ大学の先生だった方です。その方が夏休みに日本に来て先生の家に居候をしていたんですね。そんな訳で、ポーランドが多少身近に感じられたんです。それで、ポーランド語を独学で始めたんですけど、ロシア人の先生が、知り合いのポーランド人の女性が、日本語の日常会話を習いたいと言っているので、お互いに日本語とポーランドを教えあったらどうとおっしゃってくださって、その女性を紹介してくださったんです。その人は、ポーランド大使館の職員の奥さんだったんですが、買い物に行った時など、日本語ができると便利だから習いたいと言うことでした。それで、1週間に一度、彼女のお家に行って、ランゲージ・エックスチェンジを始めました。「この間あなたが言ったことをお店で使ったらうまく会話ができたわ」と彼女の上達はめざましかったのですが、私はポーランドを使う機会がないから、なかなか上達しませんでしたね。
 上智大学を卒業した後、ワルシャワ大学の大学院に留学する機会を得たので、それで、ワルシャワに行ったんです。1980年の10月でした。当時のポーランドは共産主義国でしたが、1980年の8月に、自主労働組合「連帯」ができ、その活動が活発になって、世界的に話題になっていた時代なんですよね。「連帯」の活動は1981年の12月に戒厳令が敷かれて中断してしまうんですが、それまでポーランドでは自由の風が吹いていたんですよね。
 その頃ポーランド語は、日常会話がチョコチョコできる程度でした。ポーランド語は、名詞には男性形、女性形、中性形があり、それぞれ単数形、複数形もあり、名詞、動詞、形容詞、全て語形変化するので、慣れるまで大変でした。今ではポーランドの若い人も中年の人も英語が上手ですが、あの頃英語が話せる人は余りいなかったんですよ。ロシア語を話すと嫌われ、無視されました。反ロシア感情が強い事は知っていたけれど、こちらが一生懸命コミュニケーションしようと思ってロシア語を使っているのに無視されるのには、まいりましたね。上品な年配の人は外国人だと思うとフランス語で話しかけてきました。戦前の上流階級はフランス語が上手でしたから。でも私のフランス語はあいさつ程度で役に立ちませんでしたね。
ともかく、その頃はポーランド語を話せないとどうしようもなかったです。当時のポーランドでは、今みたいにスーパーマーケットがあって誰とも話さず買い物ができるというわけではなく、店員と話さなければ物が買えないので、ポーランド語を使う機会が増えて、ポーランド語は上達していきました。ワルシャワ大学では外国人向けのポーランド語コースというのがあって、そこに参加していたんですけど、3か月もするとコースの進み具合が遅くて、そのコースに行く意味がなくなっちゃったんです。ロシア人とポーランド人が話してもお互いに意味が通じはしませんが、ロシア語もポーランド語もスラブ系の言語で、文法が似ているので、ポーランド語の上達が早かったのかもしれません。でも、ポーランド語が上手くなった分、ロシア語はだんだん下手になりましたね。
大学の普通の授業にも徐々に出るようになりましたが、ストで大学が閉まっていたり、戒厳令で閉鎖されたりと、大学にはほとんど行かずじまいでした。

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プロフィール

2008年よりメルボルンを舞台にした小説の執筆を始める。2009年7月よりヴィクトリア日本クラブのニュースレターにも短編を発表している。 2012年3月「短編小説集 オーストラリア メルボルン発」をブイツーソリューション、星雲社より出版。amazon.co.jpで、好評発売中。

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