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岡上理穂さんの物語(7)

話が脇に逸れてしまいましたが、私がテレビ局の撮影の手伝いをすることになったもう一つのきっかけがあったんです。それは、別の人との出会いでした。私が初めてポーランドに留学する時は、モスクワ経由のアエロフロート航空で行きました。そのソ連の航空会社の券が一番安かったんですよね。ガタガタ揺れるひどい飛行機でしたけど。そのチケットは成田発、モスクワに一泊して、翌日にワルシャワに行くと言うもので、一泊の宿泊と夕食と朝食がついていたんです。モスクワに着いたら、乗り継ぎの人は、乗り継ぎする人専用のラウンジに行くんですけど、ラウンジにいる乗客を逃がさないように、入口に銃を持った兵隊が立っているんですよ。だからどこにも行けない。私は、その時一泊して西ヨーロッパに行く日本人のビジネスマンが20人くらいと一緒に、狭いラウンジに詰め込められたんです。普通だったら、15分くらい待っていたら、迎えの人が来て、宿泊先に連れて行ってくれるんだけれど、その時は待てど暮らせど誰も迎えに来てくれなかった。そのうち喉が渇いてくるし、おなかも空いてくるし、監視のお兄ちゃんは何も言ってくれないし、数時間もたつと、皆イライラし始めたんですよ。それで、皆で抗議をしようと言うことになったんです。でも日本語は通じないからロシア語で抗議しないと話にならないだろうと言うことになって、誰かロシア語ができる人はいないかと言われ、私ができますと言うと、それじゃああんたが抗議してくれと言うんです。私は、言うことは言うけれども、私のような者が何を言っても効き目はないんじゃないですかと言うと、ほかの人たちは私の後ろに立って腕を組んで怖い顔をして睨みつけて威嚇するから、ともかくあんたが抗議をしろということになったんですよ。それで、銃を持った兵士に私はあれこれ言ったわけですよ。その時皆約束通り怖い顔をして後ろに立っていてくれたのが良かったのかもしれないけれど、どこからか係の女の人が来たわけ。それで、私たちの要求をその女の人に伝えると、そのまま消えてしまったの。でもその後やっと迎えが来たので、おなかも空き喉も乾いている不満だらけの20数名の日本人がバスに乗って、空港内にある、外人用の宿泊所に行ったの。宿泊所に着いたのはいいんだけれど、もう外は真っ暗で、レストランも閉まっている。それでミネラルウォーターを寄こせとか、食事はどこだとか、大騒ぎになって、結局レストランを開けてくれたんです。その時のグループの人たちは、ロンドンに行く人とかデュセルドルフに行くとかいうビジネスマンばかりでした。その翌日はそれぞれの行先の飛行機の出発時間に合わせてホテルを追い出されるわけです。私もワルシャワ行きの飛行機の出発時間に合わせて起こしてくれて、また飛行場に着いたわけ。そしたら後ろから声をかけられて「きのう活躍してえらかったね」と、知らない男の人からほめられました。その人は草壁久四郎さんと言う映画評論家だったの。その映画評論家がなぜそこにいたかって言うと、ワルシャワにポーランド映画を仕入れにいくところだったのよ。草壁さんは、もともとは毎日新聞の記者で、記者をやめられた後、毎日映画社と言うドキュメンタリー映画を作る会社の社長をされていたんです。その会社をやめられた後は、映画評論家をされていた方でした。この方は長崎で被爆されているんだけれど、ちょうど原爆が落とされた時、毎日新聞社の長崎支社で仕事をされていたのですが、机がちょうど大きなコンクリートの柱の傍だったので、爆心地に近かったにも関わらず助かったと、おっしゃってました。ともかくそう言う方で、昔からポーランド映画とかチェコ映画とか、そう言うのに興味を持っていらして、そんな映画を日本に仕入れて岩波ホールなどで見せてらした。今でもやっているけれど東京映画祭の最初の言い出しっぺの一人です。彼は長崎出身で、しかもそういうバックグラウンドなので、テレビとか映画の業界の知り合いの方が多くて、草壁さん経由で、福岡のテレビ西日本や、テレビ長崎の取材を手伝ってくれないかと言う話が来ました。だから、全て、偶然。草壁さんとの出会いから始まったことです。草壁さんも随分前に亡くなっちゃったけれど、随分お世話になりました。ドキュメンタリーでは、テレビ西日本制作「ワルシャワを見つめた日本人形」が思い出深いですね。これは主人と一緒に一か月取材同行して作成したもので、芸術祭賞を取ったり、ギャラクシー賞を取ったりした作品だったんですね。なかなか面白い経験をしましたね。

著作権所有者:久保田満里子

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本当にめちゃめちゃ楽しかったです

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プロフィール

2008年よりメルボルンを舞台にした小説の執筆を始める。2009年7月よりヴィクトリア日本クラブのニュースレターにも短編を発表している。 2012年3月「短編小説集 オーストラリア メルボルン発」をブイツーソリューション、星雲社より出版。amazon.co.jpで、好評発売中。

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