日本人戦争捕虜第一号(2)
更新日: 2022-07-03
南は、これと言って女性と付き合うと言うこともなかった。南が20歳になった時、故郷の香川県の高瀬町にある高級旅館の女将をしていた姉のキクエは南にガールフレンドがいないのを心配して、旧家の娘の宮谷一子を南に紹介した。南より2歳年上だった一子は、母親を早く亡くし、母親代わりに兄弟の面倒を見てきたため、婚期を逃していた。しかし、気立ても良く働き者だったので、キクエから目をかけられていたのだ。南は、一子に一目ぼれし、二人はすぐに相思相愛の仲になり、二人は婚約もした。しかし、そろそろ結婚しようかと言うときに、世界大戦が始まったため、結婚式を延期せざるを得なかった。戦闘パイロットの訓練を受けていた南が初めて実戦を体験したのは、1941年12月8日、真珠湾攻撃だった。その時南は21歳だった。母艦の艦隊上空を警戒する役目を与えられた。真珠湾攻撃は日本軍にとって賭けであったが、奇襲だったため、幸いにも敵機に出会うこともなく、無事に帰還することができた。そして翌年の2月、新たにオーストラリアを攻撃する任務を与えられたのだが、オーストラリア軍に捕まってしまった。結局、南が戦闘任務にあたったのは、たったの2か月余りであった。
出征する時に、「無事のお帰りをお待ちしておりますけん」と言って涙ぐんでいた一子の姿が目に浮かび、やるせない気持ちになった。
ラブディ収容所で無為の日を過ごすうち、「何とか日本に帰りたい」と言う気持ちが、頭にとりついた。入所して1週間後、警備兵のすきをついて、馬に飛び乗り、飛行場にまっしぐらに走った。飛行機を強奪して、何とか日本軍に合流したい。夢中で企てた脱走だったが、何しろ土地勘もなく、オーストラリア軍に囲まれていたため、すぐに追手が来て、飛行場に着く前に捕まってしまい、脱走は失敗に終わった。
著作権所有者:久保田満里子
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