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日本人戦争捕虜第一号(5)

 南の心に秘めた脱走したいと言う願望が実現するチャンスが訪れたのは、1944年8月4日のことだった。その日、南はキャンプリーダーの金沢と二人、司令官のラムゼイ少佐から呼び出しを受けた。そして、驚くべき通達を受けた。
「日本人捕虜が1400人にも増え、ここは手狭になったので、兵長以下の階級の者は、8月7日に、ヘイ収容所に移すことにした」というものだった。兵長以下の者と言えば、1000人近くが移動をすることになる。軍曹と名乗った南は、カウラに残ることになるが、400人しか残らない状況では暴動を起こすのは難しい。南は焦った。
「どうして皆一緒に移動できないんですか?」と司令官に食い下がったが、「もう決まったことだ」と一蹴されてしまった。
8月7日までにはあと4日しかない。
「俺たちは分断される!」と言うニュースは瞬く間に収容所に広まった。「下士官と兵の分離はわが国、家族制度の破壊に等しい。分離移動には断固として抗議する」との意見が大勢を占めた。キャンプリーダーが司令官に交渉しようとしても取り合ってもらえなかった。「どうすべきか?」
班長会議が開かれたが、いい考えは浮かんでこない。そのうち過激派の下山良夫なる人物が「貴様らそれでも軍人か?帝国軍人たるもの、敵に攻撃を加え、一人でも多くの敵を殺し、自決すべきではないか」と言い出し、結局各班で投票をすることになった。トイレットペーパーに、決起賛成の者は〇、反対の者は×をつけることになった。一見民主的に見えるやり方だったが、他人のことを慮る癖のついている日本人には、決起したくないと思っても、Xをつけるのを憚かってOをつけた者が多くいた。また、仲間が多く死んだ中で、生き恥をさらしていると言う罪悪感があったからことも0をつけた者が多かった要因の一つとなった。さらに、下山がナイフを持って「非国民は前に出ろ。俺が始末してやる」と脅したことも、多くの者にOをつけさせた。その結果、決起賛成の票は実に8割にもなった。
 班長が出撃計画を練って伝達。深夜には、「お世話になりました。靖国神社で会いましょう」と、皆挨拶をして回った。下山が、「走れない奴は自決しろ」と言い出し、走れないものは天井の梁にロープをかけ、順番に首を吊って自決していった。
 南は午前2時に突撃ラッパを吹くことを申し出た。

ちょさ

 

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プロフィール

2008年よりメルボルンを舞台にした小説の執筆を始める。2009年7月よりヴィクトリア日本クラブのニュースレターにも短編を発表している。 2012年3月「短編小説集 オーストラリア メルボルン発」をブイツーソリューション、星雲社より出版。amazon.co.jpで、好評発売中。

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