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木曜島の潜水夫(14)

トミーが船長として仕事に戻ったのは、翌年、1940年の3月だった。採取シーズンが始まった第一週は釣りをしたり薪を集めたりして、遠出の準備を始めた。ドラム缶を切って下に砂を詰めたものに薪を入れて、コンロを作った。ご飯と肉を煮炊きするためだ。
 その頃になると、真珠貝は木曜島近辺では全く取れなくなっていて、真珠貝が採れる場所を皆探さなければいけなくなった。そのため、遠くまで出かけなければならず、3か月も家を留守にすることも多くなった。
 新しく真珠貝の潜水夫が来ることは珍しくなったが、その年に城谷勇と言う若者が、トミーの船に乗るようになった。トミーは城谷とは気が合い、生涯の友となった。ターンアゲイン島の南西10キロの所でたくさん貝が採れると聞いたトミーは、早速その穴場に向かった。そこにはすでにうわさを聞き付けた船が30隻ばかりが集まっていた。そこでは、真珠貝が一日100キロから300キロと面白いように採れる。早速トミーたちも真珠貝を合計30トンも採取し、木曜島に意気揚々と引き揚げた。しかし、思ったほどの収入にはならず、トミーをがっかりさせた。と言うのも、仲買人が貝の質を判断するのだが、トミーの採って帰った貝はDランクとEランクとつけられた。品質が劣っていたためである。
 木曜島の真珠貝産業には、暗い影が差し始めていた。質の悪い貝しか採取できなくなったこともあるが、串本と愛媛から、日本を拠点にした船が木曜島近海に年に60隻も現れるようになったこともトミーを不安にさせた。日本から来た船は、真珠貝養殖の可能性を調査すると言う名目で、真珠貝を採取していった。日本軍が後ろ盾となっていると言うことだったので、うかつに抗議をすることもできなかった。

著作権所有者:久保田満里子

 

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プロフィール

2008年よりメルボルンを舞台にした小説の執筆を始める。2009年7月よりヴィクトリア日本クラブのニュースレターにも短編を発表している。 2012年3月「短編小説集 オーストラリア メルボルン発」をブイツーソリューション、星雲社より出版。amazon.co.jpで、好評発売中。

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