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木曜島の潜水夫(39)

トミーは、モーテルの仕事を手伝いながら、毎日のように出かけるところがあった。それは、木曜島の丘の中心に南北に渡ってあった日本人の墓である。そこには、トミーの知っている人々が多くまつられていたが、荒れ放題になった草地に、木の札に名前が書かれた簡素な墓があったが、どれも朽ち果てて、名前さえ分からなくなっているものが多かった。トミーは、墓場の草刈りや掃除に励んだが、広大な墓地を一人で清掃するのは、荷が重かった。
そんな1975年のある日、和歌山県の新宮から、高校の地理の教師、久原シュウジなる人物が木曜島にやって来て、レインボーホテルに泊まった。久原が来たのは、アラフラ海とオーストライアで真珠貝産業に従事する日本人について研究するためだった。
 その頃には、真珠貝採取をする船は6隻しかおらず、皆パプアニューギニアや周辺の島の人が働いていた。オイル漏洩事故後、真珠貝産業の中心になっているのは、金曜島である。そこには、三重を中心にした真珠養殖の会社から派遣された技術者たちがいた。
 トミーは、ホテルの食堂で見かけた久原に声をかけ、島の案内をかって出た。そして久原をいつも行く日本人の墓場に連れて行った。草ぼうぼうと生えた中に、名前が書かれた木がたくさんあった。トミーは、久原に「草は刈っても刈っても生えて、崩れた古い墓はだんだん落ち込んで場所さえ分からなくなっているんです」と、嘆かわしそうに話した。ほとんどの人は独身で身内のいない者ばかりだったから、墓にはトミー以外に訪れる人がいなかったのだ。久原はトミーの話に心を動かされた。そこで、日本人がトレス海峡の島を訪れて100年目の節目に慰霊塔を立てたらどうだろうとトミーに提案すると、トミーは目を輝かせて、「そうできれば、どんなに死者が喜ぶでしょう」と賛成の意を表した。久原はすぐに実現するために行動を起こした。日本に帰るとすぐに外務省に、慰霊塔建設の援助を申請した。それと同時に島の墓を整備するための援助金も申請した。和歌山と愛媛にある木曜島遺族会にも、慰霊塔を立てるための資金援助を頼んだ。
 そんな中、有名な歴史小説家の司馬遼太郎が、木曜島を訪れた。1976年のことだった。彼は後に「木曜島の夜会」と言うノンフィクションの小説を書いているが、そこにはトミーの家族のことが書かれている。その中で、「毎晩のように開かれるパーティーでは、男はサファリスーツを着、半パンでソックスを履いている。女性は、床まであるドレスを着ている」と、記述している。
この頃は、それまでは陽気でおしゃべりだったトミーは寡黙になり、バルコニーで一人ぼんやりしていることが多くなっていた。司馬遼太郎の前でも、余りしゃべらず、司馬が有田に行った話をした時、「その近くで、生まれたんですよ」と、初めて話に乗って来た。ジョセフィーンは、そんなトミーを見て、「トミーは年を取ってしまったわ。昔はあんな人ではなかったのに」と司馬遼太郎に寂しそうに言った。
司馬遼太郎に注目されたトミーは、段々オーストラリアのマスコミにも注目されるようになった。そのあと、トミーのもとに、オーストラリアンと言う新聞社の記者が訪れ、インタビューをした。その記事が1977年3月の新聞に載せられた。これをきっかけに70歳になったトミーの名前は、日本のみならず、オーストラリアのマスコミの注目も浴び始めた。


参考文献
「オーストラリア・木曜島に渡った日本人の足跡を追う―藤井富太郎氏の生涯から考える」 
伊井義人、青木麻衣子 (藤女子大学貴陽第49号第Ⅱブ:1-9,平成24年
「トーレスの海に生きた日々」 (オーストラリアの日本人:一世紀をこえる日本人の足跡)1998年18-19ページ 城谷勇 
「日本人潜水夫の採貝技術」(オーストラリアの日本人:一世紀をこえる日本人の足跡)1998年20-21ページ 城谷勇
「最後の潜水夫 藤井富太郎さんと日本墓地」(オーストラリアの日本人:一世紀をこえる日本人の足跡)1998年 茂木 ふみか 22-23ページ
「捕らわれの記」  城谷勇 (オーストラリアの日本人:一世紀をこえる日本人の足跡)1998年66-67ページ
“Tomitaro Fujii: Pearl Diver of the Torres Strait” by Linda Miley,  Keeaira Press: Published in 2013 
「オーストラリア日系人強制収容所の記録」  永田由利子  2002年
「カウラの突撃ラッパ」  中野不二夫 1991年
「語られ始めた日本人抑留体験―オーストラリアとニューカレドニアを比較してー」
 永田由利子

ウエブ検索
The pearling industry in Australia: https://tanken.com/moku2.html   
「オーストラリア木曜島へ行く:真珠貝採取の日本人」
jstor.org/stable/pdf/j.ctt1q1crmh.8.pdf   
 “The Japanese in the Australian Pearling Industry “ by D.C.S. Sissons   jsto.org/stable/pdf/j.ctt1.1crmh.8.pdf
「南半球便り(その86):遥かなる木曜島」山上信吾、在オーストラリア日本大使館ウエブサイト」
https://www.i-repository.net/contents/outemon/ir/102/102050904.pdf
「第二次大戦前のオーストラリアへの日本人移民の諸問題」 遠山嘉博

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プロフィール

2008年よりメルボルンを舞台にした小説の執筆を始める。2009年7月よりヴィクトリア日本クラブのニュースレターにも短編を発表している。 2012年3月「短編小説集 オーストラリア メルボルン発」をブイツーソリューション、星雲社より出版。amazon.co.jpで、好評発売中。

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