Logo for novels

スーパーウーマン(1)

私が土方アキと初めて会ったのは3年前。通勤電車の中だった。満員とまではいかないまでも、かなり混んでいる電車の中で、私の前に小柄なアジア人の20代の女性が座っていた。彼女の隣には、60代のいかにもホームレスと言うふうな、身なりの貧しい白人の太った男が座っていた。その男は赤ら顔で、酒臭かった。その男が、その小柄なアジア人の女性の手を握ったかと思うと、「きれいな手をしているな」と、その手を撫で始めた。女性の方はいかにも迷惑だと言う風に、手を引っ込めながら、「やめてください!」と、抗議をしたが、男は、彼女の抗議も意に介せず、彼女の手を放さず、撫で続けた。こういう場合、私はどうすればいいのかと考えたが、何しろ相手は大柄な男である。下手に何か言って、こっちにとばっちりが来ては困ると臆病風が吹いて、私は見て見ぬふりをすることにした。もう一度、その女性は抗議をした。でも、他の乗客も私と同じように、その男にかかわりたくないようで、誰も見て見ぬふりをした。その次に起こったことは、今でも鮮明に私の目に焼き付いている。その女性は、あっと言う間に、その男の手をねじ上げたのだ。不意を突かれた男は、腕をねじり上げられたまま、「アイタタ」と苦痛の声をあげた。私を含めて他の乗客も呆気に取られてみているうちに、その女性は、男の手を振り落とすと、何事もなかったように、次の停車駅で、電車を降りて行った。あとに残された男は、他の乗客の視線が注がれる中、ねじりあげられた腕をかばうようにしながら、ばつが悪そうに、その次の駅で降りて行った。
翌日の電車で彼女を見かけた時、私は思わず彼女に話しかけた。
「お強いんですね。きのう、見ました」と言うと、その女性は、私の日本人訛りの英語を聞いたせいか、
「あなた、日本人?」と日本語で聞いてきた。
「ええ、そうです。あなたも日本人なんですか?」
「ええ」
「何か武術でも習われたんですか?」と聞くと、
「まあ、少林寺拳法を少々」
「そうなんですか。すごいですね。昨日は私もハラハラしましたが、何の手助けもできなくてすみません。でも、胸がスカッとしました」と、私は昨日の興奮がよみがえってきて、彼女の行動にどれほど感動したか話した。
 その日は名前も聞かずに別れたが、その後通勤電車で毎日のように顔を合わせるようになると、段々打ち解けていき、相手の名前は土方アキだと知った。アキは、最近ワークホリデービザを取ってメルボルンに来て、シティーのカフェ、Xで働いていると言うことだった。Xは私の働いているカフェYのライバル会社だったが、そんなことは何の障害にもならなかった。かえって、お互いの店に来た客の話やコーヒーの種類の話等、共通の話題には事欠かなかった。そのうち、お互いの家を行き来するようになり、私は夫のハリソンを彼女に紹介した。ハリソンに、「電車で痴漢を退治した人よ」と紹介すると、「へえ。僕はてっきり、大柄なたくましい女性だと思っていたよ。想像していたのとは、随分イメージが違うね」と言って驚いた。実際、アキの華奢な体を見ると、大の男をねじ伏せたと言う武勇談は、眉唾物と思われても仕方がないと、私は思った。


これは、フィクションです。

著作権所有者:久保田満里子
 

コメント

関連記事

最新記事

カレンダー

<  2026-10  >
日月火水木金土
        01 02 03
04 05 06 07 08 09 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31

プロフィール

2008年よりメルボルンを舞台にした小説の執筆を始める。2009年7月よりヴィクトリア日本クラブのニュースレターにも短編を発表している。 2012年3月「短編小説集 オーストラリア メルボルン発」をブイツーソリューション、星雲社より出版。amazon.co.jpで、好評発売中。

記事一覧

マイカテゴリー