モンテンルパの夜は更けて(3)
更新日: 2026-09-27
フィリピンはカソリック教徒の多い国である。エルピディオ・キリノ大統領も敬虔なカソリック教徒だと伝え聞いた加賀尾は、ローマ法王、ピウス12世にも戦犯の助命嘆願書を支持してほしいと手紙を書いた。ピウス12世は、宗教は違うものの、加賀尾の「許しこそが世界の平和をもたらすものです」と言う文章に感銘を受け、キリノ大統領に、戦犯釈放をするようにと口添えしてくれた。加賀尾は、「日本人の処刑に関しては考慮します」とキリノ大統領から返事が来たことを、ローマ法王から知らされた。しかし、そのあとも大統領から減刑とか釈放と言う具体的な話は全く出てこなかった。加賀尾は日本で集めた嘆願書をもってキリノ大統領に直訴しようと決心した。キリノ大統領との会見が認められたのは、はま子の訪問から半年たった1953年半ばのことだった。キリノ大統領に会うための準備をしていた加賀尾のところに、ある日、はま子から小包が届いた。開けてみると鎌倉彫のアルバムが入っていた。同封されたはま子の手紙には、次のように書かれていた。
「私のファンの東和オルゴール会社の社長の吉田義人さんが、『モンテンルパの夜は更けて』のオルゴールを特別に2つほど作って送ってくださったので、一つを加賀尾さんにプレゼントしたいと思います」
アルバムを開けると、あの物悲しいメロディーが流れて来た。その音に耳を傾けていた加賀尾は、やにわにこのオルゴールをキリノ大統領にプレゼントしようと思い立ち、フィリピンに行くために用意していた手荷物の中にいれた。
いよいよキリノ大統領との会見の日が来た。大統領の応接室に通された加賀尾は、緊張でコチコチになっていた。120名の運命が変わるかどうかは、自分がいかにキリノ大統領を説得できるかにかかっているのだ。緊張しないほうがおかしい。
「ハロー」と握手するために差し伸べられた大統領の手を加賀尾は握ったが、キリノの硬い表情を見て、一瞬ひるんだ。
「今日は、私のためにお時間を頂き、ありがとうございます。私は今まだ収容されている戦犯を日本に送り返していただきたいとお願いしにまいりました。500万人の嘆願署名を持ってきたのでご覧ください」と、500万人の署名を渡した。しかし、大統領の顔は、無表情なままだった。加賀尾は焦りを感じながら、オルゴールを取り出し、
「これをプレゼントしたいと思いますので、受け取ってください」とオルゴールを大統領に手渡すと、大統領は、「これは何ですか?」と不思議そうに加賀尾を見た。加賀尾は箱のふたを開けてみせると、あの「モンテンルパの夜は更けて」のメロディーが流れ始めた。大統領は黙ってそのメロディーを聞き、曲が終わると、聞いた。
「心にしみるメロディーですね。これは何と言う曲ですか?」
そこで加賀尾は「この曲は実は死刑囚が作詞作曲をしたものです」と言って、歌詞の意味を大統領に伝えた。そして、「戦犯たちの家族は、皆日本で待っております。また本人たちも日本に帰りたがっています。どうか、皆を日本に返してやってください」と深く頭を下げた。その眼からは涙がぽろぽろ流れ落ちた。
そのあと、どのくらい時間がたったか分からない。とてつもなく長い時間だったように加賀尾には感じられた。しばらく黙っていた大統領が、おもむろに言った。
「加賀尾さん、私は日本軍のために妻も三人の子供も殺されました。そして私自身も日本軍につかまり捕虜となり、毎日拷問されました。だから、絶対日本人を許すことはできないと思っていました。でも、この曲を聞いて、日本兵にも母親がいて、帰りを待っていると思うと、心を動かされました。戦犯をどうするか、考えてみましょう」
そう言った大統領の顔は、最初のにらみつけるような硬さがなくなり、柔和になっていた。500万人の署名にも心を動かさなかった大統領が、音楽によって心を動かしたことに、加賀尾は驚くとともに、自分の使命が果たされた喜びに包まれ、
「ありがとうございます。ありがとうございます」とむやみやたらとお辞儀をしながらお礼の言葉を繰り返した。
それから間もなくして、日本人戦犯にとって嬉しいニュースが舞い込んだ。その年の7月4日のフィリピンの独立記念日に、死刑囚だったものは終身刑に減刑され、他の戦犯は釈放され、全員日本に送り返されると発表されたのだ。大統領の命令による特赦であった。
この知らせを聞いた戦犯たちの歓喜の声が収容所に響き渡った。
「日本に生きて帰れるぞ!」
特赦のニュースを聞いた日本政府は衆参両院それぞれの本会議で、フィリピン政府の寛大な処置に対して感謝決議を行った。決議書には次のように書かれていた。
「戦犯送還と言う恩恵を与えられたことは、一人本人およびその家族のみならず、日本国民のひとしく喜びとするところである」
加賀尾は念願がかなったことで、感無量であった。しかし、そんな感慨には、長く浸ってはおられなかった。皆を連れて日本に帰る手続きをしなければいけなかった。
著作権所有者:久保田満里子







コメント