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行方不明(15)

8時半に、お客さんの泊まっているホテルに、運転手のビルと一緒に行った。ロビーで落ち合った客の名前は江藤武雄と美佐子と言った。

「今日のご案内役を勤めさせていただきますジョーンズ静子です。」と言うと美佐子が「まあ、こちらの方とご結婚なさっているの?」と聞いた。
「はあ、そうです。」としか答えようがなかった。

 車が市街地を出ると有料高速道路に入り、それも15分も走ると地方に延びる無料の高速道路になった。そこに入ると、地平線上には山一つ見られない平原になった。
「まあ、山が一つも見えないなんて、さすがオーストラリアねえ。」と美佐子が感嘆の声をあげた。平原の道路わきには白っぽい幹のユーカリの細い木がまるで防風林のように並んで立っている。青い空に枯草の平原を背景に、ユーカリはオーストラリア独特の光景を編み出していた。

「コアラはこのユーカリの葉っぱしか食べないんですよ。時々ユーカリの木にコアラが眠っているのを見られることがあります。コアラは夜行性動物なので昼間は眠っていて動かないので見つけにくいとは思いますが」
静子がそういうと、江藤夫妻は一生懸命ユーカリの木を観察し始めたが、時速百キロで走る車の中からコアラを見つけるのは無理だと、
10分ばかりで諦めた。

 ユーカリの木が見えなくなると、農場らしきものが見えてきた。なだらかな丘陵に牛が群がっている。旱魃が続いているためか、いつもは緑色で埋め尽くされているはずの畑は黄色と化し、牛たちは干草を食べていた。最初は物珍しさに吸い付いたように目を窓に向けていた江藤夫妻も、1時間も同じような風景が続くと飽きたのであろう、今度は静子に質問が集中し始めた。特に美佐子は興味津々な様子で、「静子さんは、どこのご出身?」と静子の個人的なことを聞き始めた。トニーのことを聞かれたら困るなと思っていると、案の定、「ご主人とはどんなふうに知り合われたの?」と聞かれた。ツアーガイドをし始めたときはのらりくらりと答えをはぐらかしていたのだが、いまは適当にでまかせを言うようになっていた。
「こちらに留学していたときに、大学で知り合いました。」
「まあ、留学生だったの?」
「はい、教育学を勉強していました。」
「まあ、すごいわね。」
これくらいの嘘は許してもらえるだろうと、静子は心の中で、ちょっぴり罪悪感を持ちながら答えていた。

 4時間半も同伴すると、静子も江藤夫妻の個人情報をかなり得ることができた。ご主人は大手企業の役員を去年退職。娘さんが二人いて、一人は嫁いでいるがもう一人はキャリアウーマンとして働いており、結婚するようすはないこと。姑さんが認知症にかかり、美佐子は3年間姑の世話で苦労をしたが、その姑も去年亡くなったこと。ご主人は美佐子夫人が姑の面倒をみてくれたことに感謝して、夫人が行きたいと常日頃言っていたオーストラリアに連れて来たのだと言うことだった。仲のよさそうな夫婦を見て、トニーと私もこんな老年をおくれたかもしれないと想像すると、少し気が沈んだ。

 レイク・エントランスに近づくと国立公園に入り、うっそうとした森の中を車が走り始めた。外を見ると、真紅の体に紫色の羽をした美しいインコが車の前を横切った。思わず見とれたが、すぐにガイドの役目を思い出して、「いろんな鳥がいますから、外をご覧になってくださいね。」と言うと、さっそく武雄がインコを見つけて、「ああ、あれ」と美佐子に指差して教え、美佐子も「まあ、きれい。なんていう鳥なの?」と聞いた。静子は動植物の名前には疎く、答えられなかった。カンガルーの絵が描かれた道路標識が見えた。「あれ、どういう意味?」とこれまた好奇心旺盛な美佐子が聞いてきた。「あれは夜になるとカンガルーが道路を横切ってひき殺されることがあるので、カンガルーに注意と言う意味なんですよ。カンガルーを轢くと車体が損傷しますから、ドライバーにとってカンガルーは厄介者なんです」

「まあ、カンガルーてかわいいのに厄介者だなんて」

「今カンガルーの数が増えたので、殺して数の制限をしているんですよ。カンガルーの肉、お召し上がりになりました?」

「えっ! カンガルーの肉、食べるの?」薄気味悪そうに美佐子は聞いた。

それに対して武雄は「カンガルーの肉なんて食べてみたいね。」と、好奇心を募らせた。「脂肪も少なく、体にはよいと言われていますよ。私も一度食べたことがありますが、臭みもなく柔らかくて結構おいしいですよ」と、静子は一度食べた経験を話した。

 森の中の車道を出ると、目の前に広い海が開けて見えた。

「あれが、タスマン海と申しまして、あの海を越えていくと、タスマニア島があります。」

海は、かなり荒れているようで、白い波が幾重にも重なって押し寄せているのが見えた。

レイク・エンタランスに着いた時は、午後一時になっていた。

「お昼ご飯にでもしましょう。」と言っても、レストランはおろか、店も見当たらなかった。静子にとっても初めてのところなので、どこに案内したらよいのか分からない。「観光案内センター」の住所をインターネットで調べてきていたので、まず観光案内センターに行って、地図をもらい、食事をする場所を教えてもらった。レイク・エントランスの繁華街になるところであろうか。海岸線に沿った道脇に10軒ばかり店が並んでいるのが見えた。そのうちの一軒がカフェになっているようで、店の前にテーブルや椅子が出ていた。そこに腰をおろし、メニューを見たが、サンドイッチやバーガーが主で、日本人にとって物珍しいものと言えば、フィッシュ・アンド・チップスくらいだった。海のそばの町なので、新鮮な魚が食べられると思われたので、それを注文した。待っている間、ハエが顔にたかってきたので顔の前で手をふってハエを払いながら話をしなければならないのが、静子をいらだたせた。ハエは人間を恐れる風もなく、口の中まで入ってくるので、下手をすると飲み込みかねない。

著作権所有者:久保田満里子

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プロフィール

2008年よりメルボルンを舞台にした小説の執筆を始める。2009年7月よりヴィクトリア日本クラブのニュースレターにも短編を発表している。 2012年3月「短編小説集 オーストラリア メルボルン発」をブイツーソリューション、星雲社より出版。amazon.co.jpで、好評発売中。

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