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もしもあの時(10)

 高校時代、ポールの学校のフットボールのコーチだったジャックは、ポールがいかに正義感が強かったかを次のように語った。
「ポールは勉強もよくでき、フットボールも上手な生徒で、チームの皆から一目おかれる存在でした。ある日、中国人の男の子がチームに入ってきたことがあるんです。中国人がフットボールのクラブに入ってくるのはとても珍しいことなんですけど。中国人って教育ママが多くて、中国人の生徒は勉強していい点を取ることに専念することが多いから、スポーツのクラブに入ってくることはほとんどなかったんです。その生徒は足は速いし、キックも上手で、すぐに私の目を引きました。ところが私が目をかけたのが裏目に出たようで、他のチームメイトから、私の見ていないところでいじめをうけるようになっていたようです。私は全くそのことに気づきませんでしたが、卒業式の日、その生徒から初めていじめのことを聞かされました。その生徒は、いじめを受けても続けられたのは、ポールのおかげだと言っていました。ポールはその生徒がいじめのグループに取り囲まれている時、割って入っていて、いじめのグループをとめたりして、かばっていたということです。ですから、ポールが殺人罪に問われていると聞いた時、人違いではないかと思いました」
 証言台にたった三人は一様に、有望な将来を保証されていたポールが、ここで犯罪者として将来を断ち切られるのは無念だと語った。
 検察官はポールに対して懲役10年を求刑したのに対し、弁護人側は執行猶予つきの2年の刑を主張した。ケビンに対しては検察官が1年の求刑で、弁護側は執行猶予付きで3ヶ月を主張していた。
判決は一ヶ月後に言い渡されることになった。
法廷を出ると、スティーブは、ポールに対する同情の声が傍聴席から聞こえ、ポールの友人、知人達の証言が裁判官にも、刑の軽減に効果を発揮しそうだと嬉しそうに語った。別れ際に「予断は許さないが、もしかしたら、実刑を免れることが出来るかも知れないよ」と言ったスティーブの言葉は、絶望の崖っぷちに立っていたポールに希望を与えてくれた。

判決の日は事件が起こってから6ヶ月以上も経っており、事件の日のどんよりとした冬の日から、日差しが強い夏の日に変わっていた。その日は40度もあり、北風がオーブンから吹いてくる熱風のように感じられた。その日、出廷したポールがかけていたサングラスは、夏の強い日差しを避けるとともに、夕べ眠れなくて目が真っ赤になっているのをかくす役目も果たしてくれた。背広姿のポールは両親とスティーブに囲まれて、法廷の玄関に入った。
天井の高い法廷の中は、別世界のように、涼しかった。
この事件は、マスコミの関心を集めたようで、新聞記者と思われる者が3、4人、前の席に陣取っているのが見えた。また傍聴席は満席で、半分はポールの見知らぬ人達であった。
ポールは被告席に座ると、不安と期待の両方が同時に押し寄せて来るように感じた。ケビンも緊張した面持ちで座っていた。
3人の裁判官が入ってくると全員起立し、官吏から座るように指示されて着席した。
裁判長が陪審員長に判決を書いた書類をもってくるように指示した。陪審員長は、頭のはげた50歳代の白人の男だった。はげ上がった所は日に焼けたようで、ピンク色になっていた。その男から書類を受け取ると、裁判長は重々しく書類を開いて、「それでは、判決を言い渡す」と朗々とした声で判決を読み上げた。

著作権所有者:久保田満里子

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プロフィール

2008年よりメルボルンを舞台にした小説の執筆を始める。2009年7月よりヴィクトリア日本クラブのニュースレターにも短編を発表している。 2012年3月「短編小説集 オーストラリア メルボルン発」をブイツーソリューション、星雲社より出版。amazon.co.jpで、好評発売中。

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