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ウルルの石 第二話 田中幸雄の話(1)

第二話 田中幸雄の話

 僕は去年ワーキングホリデーのビザを取って、オーストラリアに1年行きました。大学を出て2年間商社に勤めましたが、朝から晩まで安月給でこき使われ、一生こんな毎日を過ごしていくのかと考えるとうつ病に陥って、結局親の反対を押し切って商社を辞めて、一年間オーストラリアに行ったのです。オーストラリアではいろんなところを見て回りましたが、ウルルは一度行ってみたかったところです。アデレードから電車に乗って2日がかりで行きましたが、本当に自然の厳しさを感じさせるところでしたね。ウルルの山には勿論登りましたよ。頂上で他の人に写真をとってもらって、ブログに載せたら、日本にいる友達から随分羨ましがられました。いい身分だって。ウルルで石を拾い、記念に持って帰りました。僕はウルルの石の呪いなんて聞いたことがなかったので。もし、そんなことがあることを知っていたら、持って帰ったりはしなかったでしょう。本当に軽い気持ちで持って帰ったのです。

日本に帰ってから、僕は一生懸命就職活動をしました。オーストラリアに1年いたってことで、皆から英語ができると思われ、うまく語学学校の英語教師になることができました。本当は1年オーストラリアにいたって、日本人と付き合うことが多かったから、英語がそんなに上達したわけではないけれど、みんなの誤解を利用したといえば利用したことになるかな。そこまでは、順調な人生だったのです。けちがつき始めたのは、その後からでした。

英語教師になって、一ヶ月経ったときです。父が行方不明になったのです。いつものようにかばんを持って会社に行ったのに、その晩は10時になっても帰ってきませんでした。最近は帰りが早かったし、几帳面な性格の父は遅くなる時はちゃんと連絡してくれるのにおかしいと母が心配し始めました。その晩は、心当たりに電話してもいなかったので、翌朝警察に届けようということで、寝ました。翌朝、もしかしたら会社に行っているのかもしれないとかすかな望みをもって母が会社に電話して驚くべき事実を知ったのです。父は会社を一ヶ月前にリストラになっていたのです。プライドの高い父は、そのことを家族に言えなかったのでしょう。毎日会社に行くそぶりをして家を出ていました。それから、父の安否が気遣われ始めました。会社にも行っていない父がどこに行くというのでしょう。すぐに、母と一緒に警察に届出に行きました。それからまもなくです。父が踏み切りで電車に飛び込んで自殺を図ったという知らせが警察からあったのは。父の自殺は僕たちの生活を根底から揺るがしました。それまで僕には、身近で人が死ぬという経験がありませんでした。毎日一緒に生活をしていた父が一瞬のうちに自分の人生から永遠に消え去ったということは僕には受け入れがたいことでした。母はもっとつらかったことでしょう。自殺する前の父の苦しみをどうして見抜けなかったのだろうといつまでも自分を責めていました。

次の不幸はそれからまもなく母に襲い掛かってきました。食欲がなくなった母は、父の自殺のためのストレスでご飯がのどを通らないのだろうと、自分で勝手に決め付けていたようです。時々胃が痛むことがあっても、胃薬を飲んですませていたのです。でも、みるみるうちに痩せていって、頬がこげ落ち、頬骨がとんぎって見えるようになり、僕は何かおかしいと思い、母を無理やり病院に連れて行ったのです。そしたら、胃癌だと言い渡されたのです。それも腸に転移しているということで、「お母さんの命も後3ヶ月でしょう。お母さんの好きなようにさせてあげてください」と医者から言われました。そして母にもそのことが伝えられました。母はどんなにショックを受けただろうかと心配しましたが、母は自分のことより一人残される僕のことが気がかりだったようです。
「幸雄、私はもう十分生きたし、死んだらお父さんにも会えるからいいけど、あんたは一人っ子だったから、あんたのことだけが気がかりよ。いい人でもいないの?いい人がいたら早く結婚して。そしたら私も安心して死ねるから」

そんなことを言われても、僕にはいい人なんていなかったから、母の願いは叶えられそうもありませんでした。それよりも、差し迫った問題がありました。残された時間を自宅ですごしたいと言う母の願いで、自宅に帰された母をどうやって看護するかです。一人っ子の僕は、看護を頼める兄弟もいないので、僕が看護をする以外ないのですが、僕も勤めがあります。付添婦を雇うほど、給料をもらっていないので、考えに考えた挙句、語学学校をやめて、母の看病に専念することにしました。


次回に続く.....

著作権所有者・久保田満里子

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プロフィール

2008年よりメルボルンを舞台にした小説の執筆を始める。2009年7月よりヴィクトリア日本クラブのニュースレターにも短編を発表している。 2012年3月「短編小説集 オーストラリア メルボルン発」をブイツーソリューション、星雲社より出版。amazon.co.jpで、好評発売中。

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