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ウルルの石 第三話 レイチェル・アンダーソンの話(完結)

 「そうです。今まで麻薬を所持していて死刑になったオーストラリア人の若者はたくさんいるんですよ。オーストラリア政府としては、死刑は非人道的であると抗議をしているのですが、何分にも他国の法律のことまでは干渉できませんからね。オーストラリアの首相がシンガポールの首相に刑を軽減して欲しいと正式に嘆願したことは一度や二度ではないのですが、今までそのために死刑を免れた者なんて一人もいないんです。まあシンガポールの首相からしてみれば、他国の首相から頼まれたからと言って刑を軽減して、国民から非難を浴びるようなことは避けたいというわけでしょうね」とため息をつきました。
私はビクターの話を聞いていて、クリスは病院で死ななかった場合は、今度は刑務所で死ぬことになると思うと胸がつまりました。麻薬の中毒症状から回復してくれと願うことは、絞首刑を意味することだからです。

 ともかく、シンガポールにクリスに会いに行こうと、その晩はスーツケースに荷物をつめました。そしてクリスが子供のとき好きだったスネークスと呼ばれる蛇のように長い、赤や青の派手な色ついたゴムのようなお菓子をスーパーに買いに行って、スーツケースにつめいれました。勿論クリスが本当に食べる機会があるかどうかさえ分かりませんでしたが、クリスにしてやれることはそれくらいしか思いつかなかったのです。
翌日、飛行機の中で、私はもう少しクリスに愛情を注いでやっていたら、こんなことにはならなかったのではないかと思うと、心が痛みました。。でも、クリスが幼い頃は私は自分の幸せを追求することに夢中で、クリスの気持ちなんて考えたことがなかったのです。「クリス、ごめんね」と心の中で繰り返し言っていました。拭いても拭いても流れ落ちる涙を、ハンカチで何度ぬぐったか分かりません。ともかく自分が行くまで生きていてほしいと心の中で祈っていました。
シンガポールに着くと、オーストラリア大使館から人が迎えに来てくれていました。そしてクリスが入院している病院につれて行ってくれました。シンガポールの空港から出ると、分離帯にランの花が咲き乱れる美しい高速道路があるといつか聞いたことがありましたが、その時は外の景色を見る心のゆとりはありませんでした。

 クリスは病院の集中治療室に入れられていました。意識不明の状態がずっと続いているということでした。私はクリスに生きていてほしいと思いましたが、一方、今を乗り切ったとしても絞首刑が待っているのなら、このまま静かにいかせてやりたい気もしました。その時私はクリスに生きていてほしいと思う気持ちと、このまま安らかに死なせてやりたいという気持ちが交錯していました。
クリスの寝ている傍に座ってジイーとクリスの顔を見ていました。考えてみればクリスとは12年ぶりの再会です。30歳のクリスの寝顔は、昔のあどけない顔を思い出すのが難しいくらい変わり果てていました。
クリスは私の見守る中で、意識を回復することもなく翌日息を引き取りました。私はクリスに許しを請いたいと思いましたが、そのチャンスさえありませんでした。

 帰りの飛行機では、灰になったクリスをいれたつぼを胸に抱いて、私は二人の愛する家族を亡くした悲しみに押しつぶされ涙にくれていました。どうしてこんなに悲しいことが次々と起こるのかと思うと、神を呪いたくなっていました。
飛行機の中でスチュアーデスが、オーストアリアの新聞を持ってきて、「お読みになりますか?」と聞いたとき、自然と頷いていました。本当は新聞なんか読む気力もなかったのですが、何となく新聞をもらったのです。そして手に取った新聞についている雑誌の記事の見出しを見て、私は思わずあっと声をあげていました。それには「ウルルの石の呪い」と書かれていたのです。そして思い出したのです。ウルルで拾ったあの石のことを。夢中で読んだその記事には、ウルルの石を拾って帰り、不幸な目にあった人の話が載っていました。病気になった人、事故で手足を失った人、夫や妻や子供に死なれた人、離婚した人、職を失った人、財産を失った人。そこにはありとあらゆる不幸が書かれていました。その人たちの話によると、不幸な出来事に一度見舞われただけでなく、次々と不幸が重なって起こったということでした。私と全く同じではありませんか。

 メルボルンに帰って私が最初にやったことは、あの石をウルルの管理事務所に返すことでした。詫び状をつけて送り返しました。
クリスの葬式も終わった後、何をする気力もなくぼんやりとすごしていた私のもとに一人の訪問客がありました。マギー・ミラーと名乗る50代の女性は、背は低く肥満気味で、いかにも意志の強そうな女性でした。
「このたびは、息子さんのご昇天、ご愁傷様でした」と言うマギーにとまどいを感じました。「ありがとうございます」と言いながらも、何の用事で私を訪ねてきたのかと不審に思いました。すると、マギーは「お宅の息子さんも麻薬の運び屋になって亡くなられましたが、実は私の息子も麻薬の運び屋になってシンガポールで逮捕され、処刑されました」と言い、うるおいを帯び始めた目をふせました。そして、気を取り直すと次のように訪問の用件を切り出しました。

「息子に死なれた後、私は二度と息子のような目に会う若者がでないように、麻薬反対運動を始めたんです。私と同じように息子さんを麻薬のために亡くされたレイチェルさんにも、私の願いは分かってもらえると思います。今日お伺いしたのは、レイチェルさんもこの運動に加わってくださらないかと思ったからです」
私は二つ返事で誘いにのりました。クリスが生きている間何も親らしいことをしてやれなかったので、罪滅ぼしがしたかったのです。いろんなつらいことが次々起こり、私はうちのめされましたが、やっと自分の生きがいを見つけ出すことができました。今は、マギーと一緒に一生懸命に麻薬反対運動を推進しています。


ウルルの石 -完-

次作 「行方不明」にご期待ください。

著作権所有者・久保田満里子

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プロフィール

2008年よりメルボルンを舞台にした小説の執筆を始める。2009年7月よりヴィクトリア日本クラブのニュースレターにも短編を発表している。 2012年3月「短編小説集 オーストラリア メルボルン発」をブイツーソリューション、星雲社より出版。amazon.co.jpで、好評発売中。

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