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透明人間(2)

スコットは透明人間になっても、おなかはすくようで、朝ごはんをいつものように食べた。一緒に朝ごはんを食べながら、

「お医者さんに行って、相談してみたほうがいいんじゃないかしら」と、里香は言ってみたものの、お医者さんだって、透明人間なんて診察できないだろうし、これが一種の病気なのかどうかさえ、分からないだろう。

「透明人間に関する情報を収集しなければ」というと、スコットはすぐにインターネットで透明人間に関する情報を集め始めた。

ウイキペディアを見ると、次のような情報が載っていた。

 

「透明人間は体が全く見えず、その体を透かして向こう側の景色を見ることができる。そこにいてもわからないが、感触では確認できる。SFや怪奇小説などで繰り返し用いられているテーマである。その特殊性から悪役として登場する事が多いが、主人公や正義の味方として活躍する作品もある。透明であることを隠すため、包帯で顔をぐるぐる巻きにし、しばしば目にはサングラスをかけているというのが、もっとも典型的な姿である。H.G.ウエルズの透明人間は、薬を飲んで透明になった。また、タバコを吸えば、煙が気管を通るのが見えたという。これは、どうやら肉体が変化して空気と屈折率が等しくなった状態であると推測される。しかし肉体が完全に透明になると、眼球の水晶体や網膜なども透明となる。理論上は眼から入る光が網膜上に像を結ぶことが不可能になるため、透明人間は視覚が全く無いと考察されている。それを考慮してか作中では透明になった後、鏡で姿を確認したところ目があった部分に虹色の「物体」が浮かんでいるとされている。もっとも、可視波長で透明であっても、体温がある限り熱の輻射があるため、赤外線で観測すれば透明人間というより、「人型の発光体」として写ることになる。不可視化する技法として現実に研究されているのは、体表面での反射を工夫し存在感を隠す光学迷彩という手法である。近年、アメリカ軍が未来の軍隊に装備させるためにナノテクノロジーを応用した透明になる兵隊服をマサチューセッツ工科大学(MIT)に依頼した。2003年に東京大学において、背後の風景を投射することで光学迷彩を実現するコートを発表した」

 

スコットは、透明人間なんて、架空のことだと思っていた考えが、ウィペディアを読  んで、びっくりしてしまった。

「里香、これ、読んでごらんよ。透明人間にするコートを東京大学で開発したんだって。知っていた?」

 里香はスコットに進められてウイキぺディアを読んで、隠れ蓑のようなコートが発明されているなんて 初めて知って、スコット同様驚いた。確かに軍事的には透明なほうが有利に決まっている。敵が透明だと、標的が定まらないだろう。

「ねえ、透明人間って、スパイになると随分有利だと思わない?盗聴なんて、自由にできるんじゃない?」

スコットは、少しむくれたようで、

「他人事だと思って面白がるのは、やめてくれよ。これからずっと透明人間になっていたら、教師の仕事を続けられなくて、収入の道が絶たれる訳だから、君が仕事にいかなくっちゃいけなくなるんだぞ」と脅かすように言った。

里香もそう言われると、ちょっとスコットをからかいすぎたかなと反省した。

「ごめんなさい。でも実際問題として、当分透明人間の状態が続くとなると、あなたに毎日私の化粧を使われては化粧代がかかって仕方ないから、お面を買ったほうがいいわね」

「お面?」

「そう、よく映画撮影なんかで使われているやつ。よくできていると思わない?あんなのがあれば、いちいちお化粧したり、包帯を巻いたりしなくてすむでしょ?」

「そうだなあ」

スコットは化粧をすることに抵抗もあったので、すぐに里香の提案に賛成した。

そこで、お面を買いに二人で出かけることにしたものの、スコットがどんな格好をすべきかで、里香とスコットの間に議論が起こった。スコットは鏡で自分の姿を眺めて、「こんな格好じゃでかけられないよ」と言い出したからだ。結局、透明人間のままでいくことにした。サングラスをはずし、かつらを脱ぎ、服を脱ぎ、化粧を落とすと、スコットの体は完全に消えてしまった。駅までの運転は里香がした。運転席に誰も見えないのに車が動くというのは、誰かに見られたら大騒動になるだろうということは容易に想像できる。スリラー小説で無人の霊柩車が走っているという場面があったことを里香は思い出した。想像するだけで、鳥肌が立った。

 駅を降りて、改札口を通るとき、里香は自分の切符だけを買った。姿が見えないスコットの切符まで買う必要がないと思ったからだ。

電車に乗るとラッシュアワーを過ぎていたせいか、比較的空席があったので、スコットがどこにいるのか分からないまま、里香はドアのそばの席に腰をかけた。乗って二つ目の駅を電車が出発したあと、コートを着た、大柄な検査官が二人、乗客の切符を調べるために車両に入ってきた。一瞬、里香はギクッとなったが、スコットは誰にも見えないので、大丈夫だと自分に言い聞かせた。

 検査官が里香の前に立ちはだかって「切符を見せてください」と言うので、里香は切符を出して渡した。検査官が切符の日付を確認した後、里香に切符を渡そうとすると、切符が検査官の手から、まるで風に吹かれたように、飛んで行った。それを見て、里香はドッキリした。スコットのいたずらだとすぐに分かったからだ。検査官は、飛んで行く切符を見て、びっくりしたようだ。口を開けて、ぽかんとして、飛んでいく切符を見ている。里香は慌てて、空中に浮き上がった切符を、つかんだ。実際にはスコットの手からひったくったのだが。里香は検査官にスコットのやったことを悟られまいと、にっこりと検査官に笑いかけた。検査官は不思議そうな顔をしながらも、次の乗客に移って行った。里香は、ほっとすると共に、スコットを蹴っ飛ばしてやりたいくらい猛烈に腹を立てたが、どこにいるか見えないスコットを蹴飛ばすわけにもいかず、自分の怒りを抑え、むっつりと座っているほかなかった。

電車を降り、周りに人がいなくなったところで、

「どうして、あんなことをしたのよ」と怒った声で言うと、スコットの声がそばで聞こえた。

「切符を取り上げたときの、検査官の顔を見たか?びっくりしていたよな」と言い、愉快そうに笑った。

里香はとてもじゃないけれど、一緒に笑う気分になれず、

「私、ずっと見つからないかと冷や冷やしていたのよ」と、文句を言った。その後、スコットの「ごめん」というささやくような声が聞こえたが、大して反省しているようには聞こえなかった。

著作権所有者:久保田満里子

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プロフィール

2008年よりメルボルンを舞台にした小説の執筆を始める。2009年7月よりヴィクトリア日本クラブのニュースレターにも短編を発表している。 2012年3月「短編小説集 オーストラリア メルボルン発」をブイツーソリューション、星雲社より出版。amazon.co.jpで、好評発売中。

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