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おもとさん、世界を駆け巡る(19)

1865年がやってきた。
夫のフレデリックのことは、時折風の便りで、外人居留地に住んでいる知り合いから、耳に入ってきた。フレデリックの作った商会の破産の裁判が8月23日、オランダの領事ブラーテによって公示された。フレデリックに請求権のあるものは9月15日までに名乗るように呼びかけられ、フレデリックにお金を投資していた人たちが名乗り出た。その負債を返済するために、フレデリックの持っていた財産は競売にかけられた。その中には、宝石もあったが、馬好きだったフレデリックの飼っていたアラブ馬が一頭と日本産のポニー一頭もあった。
その年の終わりに、おもとさんのもとに驚くべきニュースが伝わってきた。フレデリックが監獄を脱走して、サンフランシスコに逃げたというニュースだった。
いつかはフレデリックが戻ってくると信じていたおもとさんは、頭が真っ白になってしまった。
「自分たちを捨てて、一人アメリカに行ってしまった」と思うと、おもとさんはそれまで頑張ってきた分だけ、心が萎えてしまった。しかし、子供たちのために生きていかなければと、思い直し、涙をぬぐって、子供たちには笑顔で接するように努めた。
そして1865年が来て過ぎ、1867年となった。
3月1日、いつものように朝早く起きたおもとさんが店の前を掃き掃除していると、誰かが自分をじっとみているという視線を感じ、そのほうを見た。そこには、おもとさんが恋い焦がれたフレデリックが立っていた。フレデリックを見て、おもとさんは思わず駆け寄って、「バカバカ」と言いながら両手でフレデリックの胸を泣きながらたたいた。フレデリックは、おもとさんに気が済むまで殴らせた後、
「やっと、迎えに来ることができたよ」と言った。
「迎えに来たということは、また私たち一緒に暮らせるの?」泣き笑いしながら、おもとさんは聞いた。
「そうだよ。子供たちは、元気か?」
おもとさんは、こっくり頷いた。
おもとさんがちゃんと仕事をしているかどうかを見に来たお菊は、フレデリックがいるのに仰天して、すぐに店に駆け込んで、「奥様、奥様」と兄嫁を呼んだ。何事かと出てきた兄嫁も、まさかフレデリックが戻ってくるとは思わなかったようで、言葉を失った。
それから、子供たちが父親に2年ぶりに会えた喜びで、店の奥は騒動しくなり、フレデリックは、おもとさんの父親や兄の一家にアメリカからのお土産物を渡して挨拶をして、おもとさんたちを引き連れて、また外人居留地に戻っていった。
その晩、おもとさんは何度も何度もフレデリックに確かめた。
「私、夢を見ているんじゃないでしょうね」
そのたびに、フレデリックは苦笑いをして、おもとさんの頬を軽くつねり、おもとさんが「痛い!」というと、「ほうら、夢じゃないだろ」と言った。
おもとさんは、その晩久しぶりにフレデリックの胸の中でぐっすりと眠った。
「もう、これで、大丈夫。フレデリックは私たちを捨てたわけではなかったんだ」


著作権所有者:久保田満里子

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プロフィール

2008年よりメルボルンを舞台にした小説の執筆を始める。2009年7月よりヴィクトリア日本クラブのニュースレターにも短編を発表している。 2012年3月「短編小説集 オーストラリア メルボルン発」をブイツーソリューション、星雲社より出版。amazon.co.jpで、好評発売中。

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