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おもとさん世界を駆け巡る(27)

1873年2月21日には、グレート・ドラゴン一座はイギリスの北東部にある、サンダーランで興行をしていた。寒い日だったが、いつものようにリトル・ゴダイを宿舎に残して、鏡味とおもとさんは舞台に立ち、夜遅く宿舎に戻ってきた。夜遅いのでリトル・ゴダイは寝ているはずあったが、おもとさんはいつものように寝る前に息子の寝顔を見ようと、ベッドの上を見るとリトル・ゴダイはじっとしたまま、寝息も立てず、動かない。おかしいと思ったおもとさんがリトル・ゴダイの体を抱き上げると、体がだらりとしてる。思わず額に手を当てたが、冷たい。リトル・ゴダイの体をゆすったが、何の反応もなかった。思わず「わあー」と言って泣き崩れたおもとさんの叫び声を聞いて、鏡味は、「どうしたんだ?」と駆け寄った。そしておもとさんの腕の中でぐったりしている息子を見て、事態を悟った。「医者だ、医者を呼ぼう」鏡味が慌てて部屋を飛び出して、医者を連れて来るまで、おもとさんは息子を抱きしめたまま座り込んでいた。おもとさんはリトル・ゴダイを胸に抱きしめることによって、リトル・ゴダイの体を少しでも温めようと必死だったのだ。その間「死んじゃダメ、死んじゃダメ」と同じ言葉を繰り返してつぶやいていた。おもとさんの腕に抱かれたままのリトル・ゴダイの脈を調べ、瞳孔を調べた医者は、「お気の毒ですが、もう死んでいますね」と言った。リトル・ゴダイは、生後15か月でこの世を去った。
「どうして死んだんです?死因は何なんですか」と詰め寄るおもとさんに医者は、「乳児突然死ですね。原因はよく分かりません」と言い放ち、おもとさんの納得のいく返答はもらえなかった。
おもとさんは、それから悲しみのため呆然とした日々を送り、その後のことははっきりと覚えていない。
事態をききつけたタンナケルが「リトル・ゴダイのために、墓を作ろう」と申し出てくれた。タンナケルは、おもとさんに後ろめたい思いを持っていたようだ。おもとさんにも鏡味にもタンナケルの申し出を断る理由はなかったので、申し入れを受け入れた。そして、2か月後の3月にリトル・ゴダイの墓がビシュップウェアマウス墓地に建てられ、埋葬の儀式が行われた。グレート・ドラゴン一座の全員の見守る中、リトル・ゴダイの小さな遺体が墓に埋められた。その墓石には、「タナカーブヒクロサンの日本軽業見世物一座のメンバー、鏡味おもとと鏡味ゴダイユの一人息子、リトル・ゴダイ、ここに眠る。この墓は英国で初めて建てられた日本人の墓である」と書かれ、挽歌が添えられていた。
「あわれなるこいしとをもお日本をゆめにもみぬにをしてしらさゆ」
(何と愛らしくかわいそうなことよ。この子は恋しく思う日本のことを夢にだってみてないのにきっとお墓の中で日本に行ってみたいと思ってるだろう。それが不憫でならぬ。)

参考文献:ロンドン日本人村を作った男  小山騰

著作権所有者:久保田満里子

 

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プロフィール

2008年よりメルボルンを舞台にした小説の執筆を始める。2009年7月よりヴィクトリア日本クラブのニュースレターにも短編を発表している。 2012年3月「短編小説集 オーストラリア メルボルン発」をブイツーソリューション、星雲社より出版。amazon.co.jpで、好評発売中。

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