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おもとさん、世界を駆け巡る(31)

クリスマス明けの初公演は、物珍しさも手伝って、劇場は満席になった。
寝っ転がって足を使って器用に樽をくるくる回しながら、両手でお手玉をする芸、逆立ちになって、積み上げられたレンガを一つずつ横に積み上げ直すという芸など披露したが、一番の喝さいを受けたのはミニーの蝶の舞の手品だった。十七歳になったミニーは、母親譲りの美人で、その愛らしい顔にきらびやかな着物、そしてミニーの手元で舞う蝶は幻想的だった。しかし、こうなるまで、ミニーはおもとさんの課する厳しい訓練に耐えた年月があった。「こんなこともできないの!やり直し!」と何度扇子で手首を叩かれたことか。訓練の後、泣いたことも多い。嫌になって訓練をやめて、どっかに行きたくなることもあった。ミニーが舞台に上がると客席から口笛が鳴って拍手が沸き起こる。観客の好奇深々のまなざしが一斉にミニーに注がれると、いっぺんに厳しかった訓練を忘れて、嬉しさがこみあげて来る。ミニーは「ミス・ゴダイユ」と呼ばれ、ゴダイユ一座の看板娘になっていった。
この頃、ロンドンでは悲しい事件が起こっていた。おもとさんの元夫のタンナケルはオタケサンとの間に十一人の子供ができたのだが、二人の間にできた3歳半のチヨと呼ばれる娘が、オモトサンの娘、ネリーが使っていたモルヒネを誤って飲んで死んでしまった。ネリーは軽業を披露するため、色々体に無理なことをしていていたため、あちらこちらの関節や体に痛みが走り、その痛みを抑えるのにモルヒネを使っていたのだ。そのモルヒネを不用意に鏡台の上に置いていたのを、チヨが口にしてしまったのだ。ネリーは自分の不注意で妹を亡くしてしまったことで自責の念にかられた。オタケサンは直接にはネリーを咎める言葉をはかなかった。しかし時々人の視線を背中に感じて振り向くと、いつも恨めし気にネリーを見ているオタケサンがいた。そのオタケサンの冷たい視線を感じると、ネリーはますます身が縮まる思いがした。
 オモトサンは、勿論ネリー達がどうしているか気にはなっていたが、遠く離れてしまったため、どんなことがイギリスで起こっているかは、知る由もなかった。


著作権所有者:くぼた

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2008年よりメルボルンを舞台にした小説の執筆を始める。2009年7月よりヴィクトリア日本クラブのニュースレターにも短編を発表している。 2012年3月「短編小説集 オーストラリア メルボルン発」をブイツーソリューション、星雲社より出版。amazon.co.jpで、好評発売中。

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