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木曜島の潜水夫(25)

 収容所の生活は単調であったが、1944年に起こった事件のニュースが届くと、収容所全体に衝撃が走った。それは、カウラに移送された日本人戦争捕虜が起こした「カウラ騒動」である。
 これもトミーは新聞を読んで知ったことであるが、一時ヘイ収容所にいた南忠男が吹いた突撃ラッパを合図に、捕虜たちが収容所からの逃亡を図ったと言うのである。この騒動で、247名の日本兵が死に、4名のオーストラリア兵が死んだと言う。よく安井から聞いていた、あの南が扇動したのかと思うと、何とも言いようのない複雑な気持ちだった。自由を与えられ、食料もふんだんにもらい、何か仕事をすれば賃金もくれる収容所生活。トミーには、どうして暴動を起こしたのか理解しがたかった。軍人として捕虜の恥辱をうけるくらいなら死を選べと叩き込まれた日本兵士たちが決断した自決行為だったと聞いたが、死に急ぐ捕虜たちが哀れに思われた。
 その事件から1年後の1945年8月15日に、トミーたちは、日本が降伏したことを聞かされた。あとで聞いたことによると、収容所を管理していたオーストラリア軍は、日本降伏のニュースに、日本人が暴動を起こすのではないかと危惧していたらしいが、暴動までは起こらなかった。勿論、日本軍が負けるはずがないと、日本の敗戦を信じなかった者もいたが。トミーが最初に思ったのは、これでジョセフィーンや珠代、そしてまだ会ったこともない息子、アキラに会えると言うことだった。すると、じわじわと心の奥底から喜びが湧き上がって来た。しかし、ただ喜びに浸った訳ではなかった。収容所を出た後、どのように生活を立て直していけばいいかが、トミーの頭にのしかかって来た。
 その後、収容された者は皆日本に強制送還されると言う噂が流れて来て、トミーを不安にさせた。確かに政府の中で、そういう意見を持つ者もいたようだが、実際にはオーストラリア生まれ、もしくはオーストラリア生まれの家族を持つ者は、オーストラリアにとどまるか、日本に帰るか、選択できると決定された。勿論トミーは日本に帰る気はない。オーストラリアに来て21年にもなっていたが、それまで一度だって日本に帰ったことはなかったし、帰りたいとも思わなかった。

ちょさk

 

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プロフィール

2008年よりメルボルンを舞台にした小説の執筆を始める。2009年7月よりヴィクトリア日本クラブのニュースレターにも短編を発表している。 2012年3月「短編小説集 オーストラリア メルボルン発」をブイツーソリューション、星雲社より出版。amazon.co.jpで、好評発売中。

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