中野不二男氏インタビュー記事(1)
更新日: 2024-06-07
中野不二男と言う名前に初めて接したのは、第二次世界大戦中オーストラリアで日本人戦争捕虜第一号となった南忠男の物語を書きたいと思っていた時だった。友人のロウ弘子さんが、いつか南忠男について小説を書きたいと言っていたのだが、彼女は、一文字も書かないうちに亡くなってしまった。彼女の遺志を継ぎたいと、南忠男の調査を始めた私は、1991年に日本ノンフィクション賞を取った「カウラの突撃ラッパ」と言う本を見つけたが、その著者が中野不二男氏だった。その本は、南に関してこれ以上調べようがないと言うくらい徹底して調査して書かれたもので、そのあと私が書いた南の物語は、「カウラの突撃ラッパ」の縮小版的なものになってしまった。余りにも「カウラの突撃ラッパ」からの引用が多くなり、これでは中野氏から著作権侵害で訴えられるのではないかと心配になってきた。そこで、中野氏に許可をもらいたいと思い、中野氏をフェイスブックで見つけ出し、中野氏にコンタクトを取った。ジャーナリストだとばかり思っていた中野氏は、東京大学で博士号を取得し、そのあとJAXA主幹研究員、京都大学宇宙総合学研究ユニットの特任教授となり、京都大学退職後も、衛星データ解析に情熱を燃やしている人だった。そんな華々しい経歴をもつ人だが、私の要望を気軽に聞き入れてくださったばかりか、南のゼロ戦が墜落した理由を間違えて書いていたのを指摘してくださった。それからはまた、海軍の水兵の話を書いた時も分からないことを聞いたら、それでは僕が調べてあげましょうと気軽に調査してくださり、フェイスブックの友達となった。
そんな出会いから数年たった今、インタビューしたいと言う私の申し出に気軽に応じてくださり、2024年5月15日と16日に、ズームとフェイスブックを使ってインタビューすることができた。
ウィキぺディアには、「日本のノンフィクション作家、科学・技術ジャーナリスト」と書かれているが、その枠を超えた、スケールの大きい人物だった。
次回から、中野氏のインタビュー内容を連載する予定ですので、乞うご期待。
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