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透明人間(3)

お面を売っている店は、すぐに見つかった。

店の中に入ると、いろんなお面が陳列されていた。ドラキュラやスパイダーマンなど、映画やテレビで出てくるキャラクターのお面が多かった。きっと仮装パーティーなどのときにつけていくのだろう。普通の顔をしたお面というのは意外に少なかった。里香が見ていると、里香の手を誰かがひっぱる。スコットだ。スコットに引っ張られて里香の手がとまったところには、ハンサムな男のお面があった。トムクルーズに似ている。スコットがこのお面を気に入ったようだが、サイズが合うかどうか分からない。お面を持って、試着室に入ろうとすると、店員に呼び止められた。

「お面を試されるのでしたら、ここに鏡がありますから、ここの鏡でみてください」といわれた。確かにお面を試すのに、試着室に入るのはおかしい。でも店員の前でスコットに試させたら、それこそお面が宙に浮いて、店員が腰を抜かすのは間違いない。

とっさに里香は、目の前にある、衣装を手に取り、「これを試着したいの。いいでしょ?」と言って、試着室に入った。店員は何となく里香が万引きをするのではないかと疑っているようである。確かに女王陛下の代理たるヘイドン総督の奥さんが万引きをすることもあるくらいだから、里香のように普通の20代のアジア人の女が万引きするのを疑う気も分からなくはない。

 試着室のカーテンを閉めると、狭い空間にいるせいか、スコットの体温がそばで感じられる。小声で、「スコット、ちょっとかぶってみなさいよ」と言うと、お面が里香の手を離れ、里香の頭の上に浮かんだ。スコットは里香の頭の丈だけ背が高いのだ。すると、「ちょうどいいみたい」と、耳元でスコットの声がした。

まだなんだか疑っているような店員から、お面を買い、店を出ると、里香は少しほっとした。透明人間と買い物に来るだけで、こんなに気を使うなんて、今まで想像したことがなかった。

家に帰ると、すぐにスコットがお面をつけてみた。目が細くて、頬骨が張っていて、ハンサムとはいえないスコットの顔が、眉毛が太く、精悍な感じの男らしい顔に変身した。スコットは、このお面が気に入ったようで、長い間鏡の前に立って眺めていた。

その翌日からスコットは外出するときは、そのお面をかぶり、コートを着て手袋をして外出するようになった。スコットが外出した後、、里香のアパートの一階に住んでいるパトリシアというアパートの住民の動向に異常に関心を持っている70代のおばあさんが、里香を訪ねてきた。

呼び鈴に、玄関のドアを開けた里香は、パトリシアが外にたたずんでいるので、何事かと思った。

「里香、あなたご主人と離婚したの?」

「え?そんなことありませんけど…」

「じゃあ、今さっきあなたのアパートから出て行った男の人は誰なの?」

そういわれて里香がパトリシアが誤解をしていることに気づいたが、どう説明すればいいか分からず、ぐっと詰まってしまった。

「まあ、離婚をして、新しいボーイフレンドを作るのは、あなたの自由だけどね、もしまだ離婚していないのなら、新しいボーイフレンドを家に引き入れるのは、やめなさいよ」と、いかにも自分は正義の人で、不道徳な人間は我慢がならないというふうに言った。

大きなお世話よといいたいところだが、余り変なうわさを広められたら迷惑だと思い、里香はしおらしく、

「うちはうまくいっていますから、ご心配なく。何か問題が起こったら、パトリシアさんに相談しますから、そのときはよろしくお願いします」と言った。

パトリシアは里香の殊勝な態度に気を取り直したようで、

「いつでも相談にのってあげるわよ」と嬉しそうに言って、帰って行った。

パトリシアが帰っていく後姿を見ながら、里香はスコットがお面をつけなければいけない状態がいつまで続くのかしらと、不安に襲われた。

著作権所有者:久保田満里子

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透明人間(2)

スコットは透明人間になっても、おなかはすくようで、朝ごはんをいつものように食べた。一緒に朝ごはんを食べながら、

「お医者さんに行って、相談してみたほうがいいんじゃないかしら」と、里香は言ってみたものの、お医者さんだって、透明人間なんて診察できないだろうし、これが一種の病気なのかどうかさえ、分からないだろう。

「透明人間に関する情報を収集しなければ」というと、スコットはすぐにインターネットで透明人間に関する情報を集め始めた。

ウイキペディアを見ると、次のような情報が載っていた。

 

「透明人間は体が全く見えず、その体を透かして向こう側の景色を見ることができる。そこにいてもわからないが、感触では確認できる。SFや怪奇小説などで繰り返し用いられているテーマである。その特殊性から悪役として登場する事が多いが、主人公や正義の味方として活躍する作品もある。透明であることを隠すため、包帯で顔をぐるぐる巻きにし、しばしば目にはサングラスをかけているというのが、もっとも典型的な姿である。H.G.ウエルズの透明人間は、薬を飲んで透明になった。また、タバコを吸えば、煙が気管を通るのが見えたという。これは、どうやら肉体が変化して空気と屈折率が等しくなった状態であると推測される。しかし肉体が完全に透明になると、眼球の水晶体や網膜なども透明となる。理論上は眼から入る光が網膜上に像を結ぶことが不可能になるため、透明人間は視覚が全く無いと考察されている。それを考慮してか作中では透明になった後、鏡で姿を確認したところ目があった部分に虹色の「物体」が浮かんでいるとされている。もっとも、可視波長で透明であっても、体温がある限り熱の輻射があるため、赤外線で観測すれば透明人間というより、「人型の発光体」として写ることになる。不可視化する技法として現実に研究されているのは、体表面での反射を工夫し存在感を隠す光学迷彩という手法である。近年、アメリカ軍が未来の軍隊に装備させるためにナノテクノロジーを応用した透明になる兵隊服をマサチューセッツ工科大学(MIT)に依頼した。2003年に東京大学において、背後の風景を投射することで光学迷彩を実現するコートを発表した」

 

スコットは、透明人間なんて、架空のことだと思っていた考えが、ウィペディアを読  んで、びっくりしてしまった。

「里香、これ、読んでごらんよ。透明人間にするコートを東京大学で開発したんだって。知っていた?」

 里香はスコットに進められてウイキぺディアを読んで、隠れ蓑のようなコートが発明されているなんて 初めて知って、スコット同様驚いた。確かに軍事的には透明なほうが有利に決まっている。敵が透明だと、標的が定まらないだろう。

「ねえ、透明人間って、スパイになると随分有利だと思わない?盗聴なんて、自由にできるんじゃない?」

スコットは、少しむくれたようで、

「他人事だと思って面白がるのは、やめてくれよ。これからずっと透明人間になっていたら、教師の仕事を続けられなくて、収入の道が絶たれる訳だから、君が仕事にいかなくっちゃいけなくなるんだぞ」と脅かすように言った。

里香もそう言われると、ちょっとスコットをからかいすぎたかなと反省した。

「ごめんなさい。でも実際問題として、当分透明人間の状態が続くとなると、あなたに毎日私の化粧を使われては化粧代がかかって仕方ないから、お面を買ったほうがいいわね」

「お面?」

「そう、よく映画撮影なんかで使われているやつ。よくできていると思わない?あんなのがあれば、いちいちお化粧したり、包帯を巻いたりしなくてすむでしょ?」

「そうだなあ」

スコットは化粧をすることに抵抗もあったので、すぐに里香の提案に賛成した。

そこで、お面を買いに二人で出かけることにしたものの、スコットがどんな格好をすべきかで、里香とスコットの間に議論が起こった。スコットは鏡で自分の姿を眺めて、「こんな格好じゃでかけられないよ」と言い出したからだ。結局、透明人間のままでいくことにした。サングラスをはずし、かつらを脱ぎ、服を脱ぎ、化粧を落とすと、スコットの体は完全に消えてしまった。駅までの運転は里香がした。運転席に誰も見えないのに車が動くというのは、誰かに見られたら大騒動になるだろうということは容易に想像できる。スリラー小説で無人の霊柩車が走っているという場面があったことを里香は思い出した。想像するだけで、鳥肌が立った。

 駅を降りて、改札口を通るとき、里香は自分の切符だけを買った。姿が見えないスコットの切符まで買う必要がないと思ったからだ。

電車に乗るとラッシュアワーを過ぎていたせいか、比較的空席があったので、スコットがどこにいるのか分からないまま、里香はドアのそばの席に腰をかけた。乗って二つ目の駅を電車が出発したあと、コートを着た、大柄な検査官が二人、乗客の切符を調べるために車両に入ってきた。一瞬、里香はギクッとなったが、スコットは誰にも見えないので、大丈夫だと自分に言い聞かせた。

 検査官が里香の前に立ちはだかって「切符を見せてください」と言うので、里香は切符を出して渡した。検査官が切符の日付を確認した後、里香に切符を渡そうとすると、切符が検査官の手から、まるで風に吹かれたように、飛んで行った。それを見て、里香はドッキリした。スコットのいたずらだとすぐに分かったからだ。検査官は、飛んで行く切符を見て、びっくりしたようだ。口を開けて、ぽかんとして、飛んでいく切符を見ている。里香は慌てて、空中に浮き上がった切符を、つかんだ。実際にはスコットの手からひったくったのだが。里香は検査官にスコットのやったことを悟られまいと、にっこりと検査官に笑いかけた。検査官は不思議そうな顔をしながらも、次の乗客に移って行った。里香は、ほっとすると共に、スコットを蹴っ飛ばしてやりたいくらい猛烈に腹を立てたが、どこにいるか見えないスコットを蹴飛ばすわけにもいかず、自分の怒りを抑え、むっつりと座っているほかなかった。

電車を降り、周りに人がいなくなったところで、

「どうして、あんなことをしたのよ」と怒った声で言うと、スコットの声がそばで聞こえた。

「切符を取り上げたときの、検査官の顔を見たか?びっくりしていたよな」と言い、愉快そうに笑った。

里香はとてもじゃないけれど、一緒に笑う気分になれず、

「私、ずっと見つからないかと冷や冷やしていたのよ」と、文句を言った。その後、スコットの「ごめん」というささやくような声が聞こえたが、大して反省しているようには聞こえなかった。

著作権所有者:久保田満里子

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透明人間(1)

 朝、目覚まし時計の音で起こされた里香は、隣に寝ている夫のスコットのほうを見て、びっくり仰天して、ベッドから転がり落ちてしまった。落ちた時に、肩をベッドサイドテーブルの角でぶつけ、余りの痛さに「いたたた!」と言いながら、肩をさすった。すると、「大丈夫か?」と夫の声が聞こえ、声がするほうを見ると、誰もいない。里香がびっくりした原因は、夫の側の布団は夫の体で盛り上がって見えるのに、頭がなかったからである。おっかなびっくり、「スコット、そこにいるの?」とささやくように聞く里香に、「変なことを言うなよ。勿論僕はここにいるじゃないか」ととりたてて慌てた様子もない夫の声が返ってくる。そろりそろりとスコットの声のするほうに手を伸ばしすと、スコットの毛深い腕の感触が手に伝わってきた。でも、見えない。

「もしかしたら、スコット、あなた透明人間になったの?」

里香の問いに、ケタケタとスコットの笑い声が聞こえた。

「僕が透明人間になったって?馬鹿なことを言うなよ」

そういうと布団がめくれたのだが、里香にはスコットの姿が見えない。どうやら布団から出たようなのだけは、分かる。

「スコット。あなた、本当に透明人間になったみたいよ。私にはあなたの姿がちっとも見えないんだもの。私の言うことを信じられないのだったら、自分で風呂場の鏡を見たら?」

それからしばらくすると、風呂場のほうからスコットの叫び声がした。

「Oh, No」

どうやらスコットも自分が透明人間になっていることに気がついたようである。

「僕の体、どうなっちゃったんだろう」

里香の頭も、混乱していて、スコットの質問には答えられない。

きのう、何か変なものを食べたんじゃないかしら等とつまらぬことを考えたが、きのうは、スコットはいつものように、里香と同じものを食べたから、食べ物が原因ではなさそうだ。何かの薬を飲んで透明人間になったという小説も読んだことがあるような気がするが、スコットは夕べ変な薬も飲んではいない。

「どうすれば、いいんだ」

そのスコットの質問に、里香は慌てふためいた。

「今日、そんな姿では、とてもじゃないけど、あなた、学校に行けないわよ」

スコットは高校で数学を教えているのだ。透明人間が学校に行けば、大騒ぎになるだけだ。

「今日は、ともかく休んで、様子をみましょうよ」

里香は、それくらいの提案しか出来なかった。何しろスコットの姿が見えないので、どこにいるのかも分からないのだが、風呂場で放心した状態でいるようだ。

「ともかく、あなたが裸でいたら、どこにいるのか分からないから、服だけでも着てよ」

そういうと、洋服ダンスの引き出しが、スーッと開く。そして、引き出しの中のパンツや靴下が出て来るのが見える。そして、パンツをはいているのか、パンツだけが宙に浮いて見える。そしてソックスがはかれる。パンツが宙に浮き、ソックスが床について見えるのが、なんとなく滑稽である。そして、ワイシャツが着られ、ズボンがはかれた。これで、どこにスコットがいるのかは分かる。しかし首から上と手が見えないのは、なんとも不気味である。

「スコット、すごく変だわ。何とか顔や手も見えればいいんだけれど。どうすればいいかしら」

そう言っているうちに、里香は透明人間って包帯を体中に巻きつけて、サングラスをかけているのを思いだした。あいにく家には包帯は置いていない。どうすればいいんだろうと考えていくうちに里香の頭にひらめくものがあった。里香は鏡台から自分の化粧道具を出すと、スコットに言った。

「ここに、座って、このファンデーションを顔に塗ってよ」と、ファンデーションを鏡台の上に置いた。

スコットが抗議をするのではないかという里香の思惑に反して、スコットは黙ってファンデーションを塗り始めた。するとまず、右の頬が現れた。そして左の頬。鼻、おでこ、あご。どんどん塗られて、顔の輪郭ができあがっていく。やっとファンデーションを塗り終わった後で、里香は口紅を鏡台の上に置き、

「口紅もつけてよ」と里香が言うと、

「冗談じゃない」とスコットは抗議をしたが、確かに唇が透明なのは余り見られたものではない。しぶしぶスコットは、口紅をつけた。その後、里香の持っているかつらをかぶせると、女装したスコットになり、里香は思わず、ぷっと笑った。ただ目だけがまだ空洞となって、透明であるのが不気味である。スコットにサングラスをかけさせると、鼻が高いので、なかなかの美人に見える。最初のショック状態が収まると、次に心配になってきたのは、仕事のことである。

「まさか、お化粧して学校に行くわけには行かないでしょうから、今日は休んだほうがいいんじゃない」

スコットも、まさか化粧姿で、外出することは考えていなかったらしく、

「今日は休むよ」と、里香の提案に同意した。

そう決まると、すぐに「僕、今日頭が痛いので、休ませていただきます」とスコットは自分で学校に電話した。日本だったら、他の人に病欠の連絡を頼まないと、すぐに仮病だと分かるので、本人が電話することはないのだろうが、オーストラリアでは余り気にしないようだ。Sickyなんてずる休みをするときに使う用語まであり、日本の仮病という言葉のような後ろめたさがない。

著作権所有者:久保田満里子

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娘の恋人(最終回)

フィオーナがシドニーに帰ってから二日後、結婚招待状を受け取ったが、私の気持ちは、困惑するばかりだった。結婚式に参列しないとフィオーナと永遠に決別するようになると思う一方、参列すると、二人の関係を認めたことになるというのも抵抗があった。フィオーナは一人っ子だ。フィオーナが結婚すれば、息子ももてるし、孫も見られると思っていたので、息子も、孫も諦めなければいけないと思うと、ひどく気落ちした。結婚式に出ようか、出まいかと思い悩んでいるうちに、結婚式まで一週間に迫っていた。その間、フィオーナから何も音沙汰がなかった。ジョージが、「結婚式には出よう」と決断を下したので、私もジョージの決断に従った。

結婚式は、雲ひとつなく晴天に恵まれて、シドニーバーバーブリッジの見える公園で行われた。ロビンは黒のパンタロンのスーツ姿で、フィオーナはベージュ色のロングドレスを着ていた。結婚式には百名以上も参列者がいて、二人を祝福する人の多さに、私は圧倒された。ロビンの両親は、二人の結婚には全面的に賛成のようで、「いやあ、フィオーナのような素晴らしい女性と結婚できて、本当に良かった」と、嬉しさを隠し切れないように言った。ロビンとフィオーナの友達には、ゲイの人も多かった。私は、結婚式の間ずっと、むっつりしていた。二人がキスを交わすときなどは、思わず顔をそむけてしまった。結局、二人には「おめでとう」の一言も言わずに、メルボルンに戻った。

それから、私とフィオーナは今まで以上に疎遠になってしまい、私は傷心の日々を送っていた。結局、その年は、フィオーナはクリスマスにもうちには戻ってこなかった。

二人の結婚から1年経ったころ、フィオーナから手紙が届いた。何事かと不安な気持ちで焦って封筒をビリビリに裂いてしまった私の手元から、パラッと紙が落ちた。拾ってみると、赤ん坊を抱いたフィオーナと、ロビンの三人が写っている写真だった。

「まあ、赤ちゃんができたの!」

驚きで、嬉しいのか嬉しくないのか、自分の気持ちが分からなかった。

赤ん坊は、黒い髪の毛で、くしゃくしゃの顔をしている。何となく、フィオーナが生まれた時を思い出させた。

「一体、誰の子なのかしら?」と、思った。

写真と一緒に来た手紙を読んで、私は複雑な気持ちになった。

「パパ、ママ

元気?

先週子供ができたので、お知らせします。

多分二人とも、誰の子かと思うだろうと思うので、子供のことを、誤解のないように説明しておきます。子供は私が産みました。でも、ロビンの卵子を使い、ゲイの男友達から精子を提供してもらいました。つまり、三人で協力してできた子です。ゲイの男友達は、医者で頭もよく、ハンサムな人なので、きっとハンサムで、頭の良い子になってくれるでしょう。この子には、パパとママの血は混じっていないので、二人にとっては、複雑な気持ちかもしれませんが、私がおなかを痛めて産んだ子です。とっても可愛いです。見に来てくれると、嬉しいです」

ジョージにもこの手紙と写真を見せると、しばらく黙っていた。そしておもむろに言った。

「一度、フィオーナの産んだ子に、会いに行こうか?」

私は、思わず頷いた。フィオーナの産んだ子がどんな子か、好奇心をもったのだ。

次の週、フィオーナの家に行って、赤ん坊に初めて対面した。

最初は、フィオーナに抱かれた赤ん坊を見ていただけだったけれど、抱いてみたくなった。フィオーナが渡してくれた赤ん坊は、暖かく柔らかで、今にも壊れそうな感じだった。小さな手足。小さな顔。抱いているうちに、いとおしさが湧き出ていた。自分でも不思議だった。自分の血が入っていない赤ん坊なのに、可愛さで一杯になり、思わず頬ずりした。フィオーナが生まれてきた時のことが思い出された。フィオーナは私のそんな様子を見て、初めてニッコリ笑った。フィオーと私の心につもっていたわだかまりを、小さな赤ん坊が段々溶かしていってくれそうに思え、私もフィオーナに向かって微笑み返した。何年振りかで交わす笑顔だった。

著作権所有者:久保田満里子

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娘の恋人(2)

「こ、こんにちは、ロビン」と、どもりがちに言う私を尻目に、娘はさっさと家の中に入ってきた、ロビンも「こんにちは」とにっこりして、娘に続いて家の中に入ってきた。日ごろ人間平等主義を謳っている私だが、娘の相手は、男だとばかり信じていたので、娘がレスビアンだったことは、青天の霹靂であった。言葉を失っている私に対して、ジョージのほうが、冷静だった。

「やあ、ロビン。フィオーナの父親のジョージだ。よく来たね」と、握手までしている。

私も最初の衝撃がおさまったところで、社交辞令が言えたのは、私にしては、あっぱれであったと思う。

「疲れたでしょう。お茶かコーヒー、入れましょうか?」と、言うと、

「ロビンも私も、あんまりお茶もコーヒーも飲まないのよ。お水くれる?」と、フィオーナが言った。

幸い冷たい水が冷蔵庫にあったので、それを出した。私は、ロビンが、どんな女性なのか、気に掛かったので、すぐに質問した。

「ロビンさんは、何をしていらっしゃるの?」

「XX大学で女性学を教えています」と、ロビンはすぐに答えた。

「まあ、大学の先生なんですか」と、言うと、フィオーナがすかさず横から口を出した。

「ロビンとはね、ゲイの権利のデモであったのよ」

「ゲイの権利?」

「そうよ。ゲイのカップルに結婚を認めないなんて、おかしいわ」と、フィオーナが言う。私は、ゲイの結婚の議論は聞いたことがあるが、それに関しては一家言持っていたので、思わず強い口調で言った。

「ママは、結婚は男と女のカップルだけに認められるのは当然だと思うわ。だって男女のカップルには子供ができるけど、ゲイのカップルには子供はできないんだから、全く違うわよ」

「違わないわよ。愛した相手がたまたま同性だったからって、不利になるような法律は変えるべきだわ」と、フィオーナも負けずに強い口調で言い返した。これは、大変なことになったと思ったのか、ジョージが横から仲裁に入った。

「まあまあ、それくらいでいいだろう。二人とも、せっかくロビンさんに来てもらったのに、ロビンさんに不愉快な思いをさせては、気の毒だろ」

ロビンはそれほど気を悪くしたふうはなく、

「まあ、お母さんのような考え方の人がかなりいますよね」と、冷静な声で言った。

それから、フィオーナの好きなお好み焼きやギョーザなど、準備していた料理で、食卓を囲んだが、気まずい雰囲気は、そのまま漂っていた。食事も終わりに近くなった頃、フィオーナが思い切ったように言った。

「私達、今度結婚することにしたの」

私は、私に相談もなく、結婚を決めたフィオーナに対して、何だか裏切られたような気持ちがした。だから、胸がつまって、すぐに言葉が出てこなかったが、ジョージは、平然とした声で聞いた。

「でも、法的にはまだ認められていないだろ」

「そうなんだけど、法律ができるまで、もう、待てないわ」

「来月の15日にシドニーで結婚式を挙げることにしたので、是非来てください」と、ロビンが付け加えた。

それには、さすがのジョージも、すぐに結婚式に出席するとは言いかねたようで、沈黙が流れた。フィオーナは、食事が終わると、

「じゃあ、私達、シドニーに帰るわ。結婚式の招待状は、あとで送るから」と、言って、さっさと帰ってしまった。一晩泊まるとばかり思っていた私達はあっけにとられたが、フィオーナは、このままお互いに気まずい思いで一泊するのは気が重くなって、予定を変更したらしい。

著作権所有者:久保田満里子

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娘の恋人(1)

久しぶりに電話をかけてきた一人娘のフィオーナが、「今度恋人を連れていくからね」と、言ってきたときには、びっくり仰天。大学を卒業して、シドニーに就職。フィオーナは家にはたまにしか帰ってこない。たまに帰ってきたときに話すのは、仕事のことばかり。キャリアウーマンの娘に恋人がいるなんて、全く気がつかなかったのは、母親としてうかつだった。

「ジョージ、フィオーナが恋人を連れてくるって言っているわ。どうしよう。へんな子を連れてきたら困るわ」とおたおたする私に比べて夫のジョージは、おっとりと構えている。

「まあ、顔に目が二つ、鼻が一つに、口一つついていれば、言うことないじゃないか」

「何人かしら?日本人、それともオーストラリア人?それとも日本人以外のアジア人、それともオーストラリア人以外の白人?それとも黒人?アボリジニ?」と、私の頭は疑問符でいっぱいになる。

「仕事は、何かしら?サラリーマンならいいけれど、生活力のないアーティストだと困るわ」と、つまらないことを考えてしまう。

私が色々気をもんでいるのを見て、ジョージは

「そんなに心配なら、電話してきいてみればいいじゃないか」と言う。確かにそうなのだが、仕事で忙しくしている娘は、私が時折電話しても、「何の用事?」と、つっけんどんで取り付く島がない。だから電話するのは気後れする。フィオーナが帰ってくると言ったのは、3日後の日曜日。3日たてば、全て分かる。それまでの我慢だと、自分に言い聞かせる。友人の久恵なんか、娘が一日に一回、多い時は2回電話してくると嬉しそうに言っていたが、我娘ときたら、コミュニケーション能力ゼロだ。

ジョージに、

「ねえ、ベッドルームは別々に用意したほうがいいかしら?」と聞くと、

「いまどき、30にもなろうという娘を恋人と別々に寝させる野暮な親がいるか」と、呆れ顔。

父親は娘の恋人に嫉妬すると聞いたことがあるが、ジョージには、そんな気配は全く感じられない。

その3日後、私は客室のベッドルームに新しく購入したシーツや布団かけ、枕カバーなどが、きちんとおさまっているかどうか確かめ、まるで自分の結婚相手にでも会うようなそわそわした気持ちで娘の帰宅をまった。

玄関のベルがピンポーンと鳴ると、小走りで玄関に出て、途中でひっくり転げそうになってしまった。

ドアを開けると、ドアの向こうには日に焼けた娘が立っていた。「お帰り!」と笑顔で迎えた私は、娘の後ろにいた娘の恋人を見て、ひっくり転げるほど、びっくりした。娘が、

「こちら、私の恋人のロビン」と、言って、紹介してくれたのは、背が高く、短い茶色の髪をした白人の女性だったのだ。

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ああ、モンテンルパの夜は更けて(後編)

フィリピンはカソリック教徒の多い国である。キリノ大統領も敬虔なカソリック教徒だと伝え聞いた加賀尾は、ローマ法王にも戦犯の助命嘆願書を支持してほしいと手紙を書いた。ローマ法王は、加賀尾の「許しこそが世界の平和をもらたすものです」と言う文章に感銘を受け、キリノ大統領に、戦犯釈放をするようにと口添えしてくれた。加賀尾は、「日本人の処刑に関しては考慮します」とキリノ大統領から返事が来たことを、ローマ法王から知らされた。しかし、そのあとも大統領から減刑とか釈放と言う話は全く出てこなかった。

加賀尾は日本で集めた嘆願書をもってキリノ大統領に直訴しようと決心した。キリノ大統領との会見が認められたのは、はま子の訪問から半年たった1953年半ばのことだった。キリノ大統領に会うための準備をしていた加賀尾のところに、ある日、はま子から小包が届いた。開けてみると黒い漆器に金色の模様の入っている蒔絵の美しい箱が入っていた。同封されたはま子の手紙には、次のように書かれていた。

「私のファンだと言うオルゴール会社の社長が『モンテンルパの夜は更けて』のオルゴールを特別に2つほど作って送ってくれたので、一つを加賀尾さんにプレゼントしたいと思います」

箱を開けると、あの物悲しいメロディーが流れて来た。その音に耳を傾けていた加賀尾は、やにわにこのオルゴールをキリノ大統領にプレゼントしようと思い立ち、フィリピンに行くために用意していた手荷物の中にいれた。

いよいよキリノ大統領との会見の日が来た。大統領の応接室に通された加賀尾は、緊張でコチコチになっていた。130名の人の運命が変わるかどうかは、自分がいかにキリノ大統領を説得できるかにかかっているのだ。緊張しないほうがおかしい。

「ハロー」と握手するために差し伸べられた大統領の手を加賀尾は握ったが、キリノの硬い表情を見て、一瞬ひるんだ。

「今日は、私のためにお時間を頂き、ありがとうございます。私は今まだ収容されている戦犯を日本に送り返していただきたいとお願いしにまいりました。500万人の嘆願署名を持ってきたのでご覧ください」と、10箱にもなった署名を渡した。しかし、大統領の顔は、無表情なままだった。加賀尾は焦りを感じながら、オルゴールを取り出し、

「これをプレゼントしたいと思いますので、受け取ってください」とオルゴールを大統領に手渡すと、

「これは何ですか?」と不思議そうに加賀尾を見た。加賀尾は箱のふたを開けてみせると、あの「モンテンルパの夜は更けて」のメロディーが流れ始めた。大統領は黙ってそのメロディーを聞き、曲が終わると、聞いた。

「心にしみるメロディーですね。これは何と言う曲ですか?」

そこで加賀尾は「この曲は実は死刑囚が作詞作曲をしたものです」と言って、歌詞を大統領に教えた。そして、「戦犯たちの家族は皆日本で待っております。また本人たちも日本に帰りたがっています。どうか、皆を日本に返してやってください」と深く頭を下げたが、その眼からは涙がぽろぽろ落ちた。

そのあと、どのくらい時間がたったか分からない。とてつもなく長い時間だったように加賀尾には感じられた。しばらく黙っていた大統領が、おもむろに言った。

「加賀尾さん、私は日本軍のために妻も三人の子供も殺されました。そして私自身が日本軍につかまり捕虜となり、毎日拷問されました。だから、絶対日本人を許すことはできないと思っていました。でも、この曲を聞いて、日本兵にも母親がいて、帰りを待っていると思うと、心を動かされました。戦犯をどうするか、考えてみましょう」

そう言った大統領の顔は、最初のにらみつけるような硬さがなくなり、柔和になっていた。500万人の署名にも心を動かさなかった大統領が音楽によって心を動かしたことに、加賀尾は驚くとともに、自分の使命が果たされた喜びに包まれ、

「ありがとうございます。ありがとうございます」とむやみやたらとお辞儀をしながらお礼の言葉を繰り返した。

それから間もなくして、54日本人戦犯にとって嬉しいニュースが舞い込んだ。その年の7月4日のフィリピンの独立記念日に、死刑囚だったものは終身刑に減刑され、他の戦犯は釈放され、全員日本に送り返されると発表されたのだ。大統領の命令による特赦であった。

この知らせを聞いた戦犯たちの歓喜の声が収容所に響き渡った。

「日本に生きて帰れるぞ!」

特赦のニュースを聞いた日本政府府は衆参両院それぞれの本会議でフィリピン政府の寛大な処置に対して、感謝決議を行った。決議書には次のように書かれていた。

「戦犯送還と言う恩恵を与えられたことは、一人本人およびその家族のみならず、日本国民のひとしく喜びとするところである」

加賀尾は念願がかなったことで、感無量であった。しかし、そんな感慨には、長く浸っておれなかなった。皆を連れて日本に帰る手続きをしなければいけなかった。それに処刑されたものも日本に連れて帰りたかった。処刑された17名の遺骨を、遺族のもとに返してやりたいと大統領に願い出ると、大統領は快諾してくれた。加賀尾たちは、土に埋められていた遺骨を掘り起こし、供養して、黒塗りの木箱に入れた。

7月15日、加賀尾は110名の元戦犯とともに、日の丸の旗を掲げた白山丸でマニラ港を出港した。皆囚人服から白いズボン、開襟シャツに着替え、晴れ晴れとした顔であった。その中には勿論代田と伊藤の顔も見られた。短い人でも9年ぶり、長い人にとっては15年ぶりの帰国だった。死刑囚の遺骨は、船の一等サロンに設けられた祭壇に安置された。

1週間の船旅は、帰国者全員、待ちわびる人に早く会いたいと言う思いで、長く感じられた。太平洋の荒波に船酔いを起こす者が続出したが、皆の心は高揚していた。7月22日午前8時半。やっと白山丸は横浜港に着いた。帰国者がデッキに出てみると、港は見渡す限り出迎えの人で埋めつくされていた。帰国者の家族は勿論、見も知らぬ人も、帰国者を歓迎するために来ていた。実にその数2万8千人にもおよんだ。その出迎えの中に勿論渡辺はま子がいた。皆が下船し、はま子との再会を喜び合った後、はまこはおもむろに歌い始めた。

「モンテンルパの夜は更けて、つのる思いにやるせない…」

皆はま子の歌に耳を傾けた。この歌が皆を解放してくれたと思うと、うれし泣きをする者も多くいた。

そのあと、釈放されたものは家族に会うため方々に散り、死刑囚から無期刑囚に減刑された者たちだけが残された。無期刑囚が収容されることになっていた巣鴨プリズンの所長は無期刑囚に言った。

「今から一時間の猶予を与えるから、家族に会って来い。ただし1時間たったら、必ずここに集合するように。解散!」

この所長の言葉は無期刑囚だけでなく、巣鴨プリズン職員をも驚かせ、職員の一人が聞いた。

「所長、もし戻ってこない者がいたら、どうするつもりですか?」

「皆もう長い間家族に会っていないんだ。だから、1時間だけでも、家族に会う猶予を与えてやりたいんだ。もし、帰らない者がいたら、その時は、俺が責任をとるよ」

その職員の不安は杞憂に終わった。全員時間通りに帰って来たのである。

その年の紅白歌合戦で、渡辺はま子は、「モンテンルパの夜は更けて」を歌い、拍手喝さいを受けた。

ちなみに、オーストラリア政府によって裁かれた日本人の戦犯は、今オーストラリア政府の設置している難民収容センターがあるパプアニューギニアのマヌス島に送られて、その島で処刑された人もいるそうである。

参考文献

「プリズンの満月」吉村昭 新潮文庫

文芸春秋2015年9月特別号「大特集 「昭和90年」日本人の肖像 抄録 岡部長景「巣鴨日記」210-225ページ

文芸春秋2015年9月特別号 「大特集 「昭和90年」日本人の肖像 A級戦犯・木村兵太郎(刑死)長男の訴え 父を靖国から分祀してほしい」198-205ページ

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ご存知ですか、見分「モンテンルパの夜は更けて」~BC級戦犯の命を救った人

 

著作権所有者:久保田満里子

 

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ああ、モンテンルパの夜はふけて(前編)

 戦争の話と言えば悲惨きわまるものと言う私の先入観を覆すような、心温まる話に出会った。皆さんにもこのお話をお伝えしたいと思い、書いてみた実話に基づくフィクションである。

 人気歌手の渡辺はま子は、NHKラジオ「陽気な喫茶店」の司会をしていた松井翠声から渡された手紙を読み返した。1952年のことである。手紙の送り主は加賀尾秀忍となっていた。

「突然お便りをするご無礼をお許しください。私はフィリピンのマニラ郊外にあるモンテンルパ刑務所の教誨師をしていた加賀尾秀忍と申します。皆さまご存知ないかもしれませんが、この刑務所には、戦後7年たった今も、日本人のB級C級(注:A級とは平和に対する罪、B級は人道に対する罪、C級は、捕虜の虐待などの戦争犯罪)の戦犯150名が収容されています。今年1月19日に14名が処刑されました。そのうち13名はセブ島での村民虐殺事件にかかわったと言う罪状でしたが、私が彼らから聞いたところによると、そのうちの半数近くがセブ島などに行ったこともないというのです。フィリピン政府は日本政府に対して80億ドルの賠償を要求していましたが、アメリカがサンフランシスコ講和条約で無賠償にしたことに対する腹いせから、突然死刑が執行されたと戦犯たちは言っております。真偽のほどは私には分かりませんが、フィリピンの刑務所で悲惨な状況で絶望的な気持ちで過ごしている人たちがいることを、日本の皆さんに知ってもらいたいと思います。そこで、渡辺はま子さんに是非戦犯の気持ちを歌った歌を歌ってほしいと思い、死刑囚の元憲兵、代田銀太郎氏に作詞をしてもらい、元将校の伊藤正康氏に作曲をしてもらった『ああ、モンテンルパの夜は更けて』の楽譜をお送りします。…」

はま子は、早速同封されていた楽譜を見ながらピアノでメロディーを弾き、歌ってみた。

「モンテンルパの夜は更けて、つのる思いにやるせない。遠いふるさと忍びつつ、涙に曇る月影に、やさしい母の夢を見る

つばめはまたも来たけれど、恋し我が子は、いつ帰る。母のこころは一筋に南の空へ飛んでいく。定めは悲し呼子鳥

モンテンルパに朝が来りゃ 昇る心の太陽を、胸に抱いて、今日もまた 強く生きよう 倒れまい 日本の土を踏むまでは」

はま子は歌っていて、胸にジーンときた。はま子自身収容所暮らしを経験している。陸軍の要請で、中国に派遣されていた兵士の慰問訪問をしていたはま子は、天津で終戦を迎えた。それから天津での1年間の捕虜生活で、毎晩不安と望郷の念に苛ませられたのを思い出したのだ。曲を歌い終わって、思わず涙ぐんだ目を拭いていると、いつの間にかそばに来て耳を傾けていたディレクターの磯部が 「悲しみが胸に迫ってくる曲ですね。何と言う曲ですか?」と聞いた。はま子が事情を話すと、「この曲をレコードにしましょう」と言ってくれた。その年の7月に発売されたこの曲は、またたくまに20万枚を超えるヒット曲となった。

この歌がきっかけになってはま子は加賀尾と知り合った。

 はま子は加賀尾に会うたびに、「モンテンルパの収容所に行って、戦犯の皆さんを慰問したいのですが」と言ったが、国交も復活していないフィリピンに行く手だてがなかった。加賀尾はこの歌が日本国民の間に浸透していくのをばねにして、精力的に囚人たちの助命嘆願のための署名運動に乗り出した。その成果があって、500万名もの署名が集まった。

はまこのモンテンルパ刑務所慰問の願いがかなったのは、1952年12月24日のことだった。はま子は直接フィリピンに行くのは難しいと判断して、まず香港に飛び、香港経由でフィリピンに入国をした。

この日、マニラ空港に降り立ったはま子を、元駐日大使のデュランが出迎えてくれた。デュランははま子のファンだった。その日は12月と言えども、マニラは40度にもなるムンムンするムシ暑い日だった。収容所に着くと、ステージには『歓迎 渡辺はま子さま』という横断幕がかかっていた。はま子は、すぐに作曲者の伊藤正康と作詞者の代田銀次郎と会った。二人は、はまこに「自分たちの歌を歌ってくださってありがたいです」と言うと、深く頭を下げた。そんな二人に、はま子は「いえ、こちらこそ素晴らしい曲を作ってくださってありがとうございます」と礼を言った。この時はま子は初めて二人に会ったのだが、全くの初対面と思えないほど、歌を通しての心のつながりを感じた。

ステージに立ったはま子の前には、期待に目を光らせてはま子を待っていたやせ細った囚人たちがいた。その120名ばかりの男たちの目がはま子に注がれていた。

「皆さん、やっときましたのよぉ」と言うはま子のハリのある声が会場に響き渡ると、客席から熱狂な拍手が沸き起こった。その拍手の渦は皆がどれほどこの日を待ち焦がれていたかを感じさせるものだった。はま子は、ドレス姿でまず彼女のヒット曲「蘇州夜曲」や「シナの夜」を歌い、途中で振袖に着替えて、暑い中を汗だくになりながらも、「荒城の月」「浜辺の歌」を歌った。一曲終わるたびに拍手の嵐が湧き起こった。いよいよ最後に「ああ、モンテンルパの夜は更けて」を歌うことになった。はま子が歌い始めると、会場のあちらこちらから斉唱の声があがり、最後にはその歌声は大きなうねりのように会場にとどろいた。どの顔も涙で濡れていた。はま子自身、涙で声が詰まりそうになるのを必死に耐えて最後まで歌いぬいた。

曲が終わり、「皆さん、お別れの時間となりました」と別れの挨拶をしようと思っていたはま子のそばにデュランが寄ってきて、「君が代を歌いなさい」と言った。はま子は驚いてデュランの顔をまじまじと見た。天皇が戦争の元凶だと思われていた中で、日本軍によって被害を受けたフィリピンで天皇をたたえる歌を歌うことは、とうてい許されることではない。躊躇{ちゅうちょ)したはまこが見たデュランの顔は真剣そのものだった。「私が責任を持ちます」と言うデュランの力強い言葉に胸を打たれたはま子は、「皆さん、君が代を歌いましょう」と囚人たちに呼びかけた。すると、全員起立をして直立不動の姿勢をとると、日本のある北に向かって。皆が歌い始めた。涙で声がかすれている者も多く、中には感激のあまり途中で泣き崩れてしまう者もでた。皆君が代には万感の思いがあった。その歌を最後にしてコンサートは終わり、はま子は、もうこの人たちに会うことはないのだと思うと、後ろ髪をひかれる思いで、日本に帰国した。

参考文献

「プリズンの満月」吉村昭 新潮文庫

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ケリーの母(最終回)

ジェラルドは、昔のことを思い出すように、言葉をかみしめながら言った。

「ビルと僕とは、状況が違っていたよ。ビルの奥さんの文子さんは、広島の原爆で身内を失って、ビルと結婚しても非難する親戚縁者はいなかったんだ。ところが、美佐子はお前も知ってのとおり、実家は由緒ある家ときている。つまり面子を大切にする家族だったんだ。だから、美佐子と一緒に、美佐子の父親に結婚することを認めてほしいと挨拶に行ったら、剣もほろろに追い返されてしまったよ。美佐子は親戚縁者皆からの非難を受け、呉にいづらくなったんだ。だから、オーストラリアに行こうと僕が言ったら、すぐに賛成してくれたんだ。1952年に呉での勤務を終えて、美佐子とお前を連れて帰ってオーストラリアに戻ってきたんだが、お前はまだ2歳だったから、きっと覚えていないだろうな。その頃のオーストラリア政府は、オーストラリア人の捕虜に対するシンガポールでの日本軍の仕打ちや、ダーウィンを襲撃されたことに対して報復の念を燃やしていたから、日本人の戦争花嫁なんて認めることはできないと言って、最初美佐子を連れてきたときは、5年間の臨時のビザしか出してくれなかったんだ。やっと1956年に日本人でもオーストラリア国籍がとれるようになったけれど」

「ああ、戦争花嫁で、最初に国籍をとったのは、チェリー・パーカーでしたよね。彼女をモデルにした映画を見たことがありますよ」

「そうか」

「確かに、僕の子供の頃は、お母さんは自分が日本人だというのをひたかくしにしていましたよ。だから、日本語を一言もしゃべらなかったので、僕は日本語が全然分からないんですよ、残念ながら」

「あの頃は、日本があんなに経済成長をとげて、オーストラリアにとって一番の貿易輸出国になるなんて思いもしなかったからね」

「今では、中国が一番になりましたがね」

「世の中、随分変わったものだ。ところで、離婚したあと、お母さんはどうしていたんだ?」

「お母さん、一生懸命仕事を探したけれど、なかなか見つからなくて、結局日本に引き揚げたんです。でも、頼りにしていたお爺ちゃんは、相手にしてくれないどころか、お母さんを家の恥さらしだといって、家からたたき出したんですよ。だから、仕方なくまたオーストラリアに舞い戻ってきたんです。必死になって仕事を探してやっと鶏肉工場で鶏の毛をむしり取る仕事を見つけて、朝7時から夜の6時まで働いて、僕を育ててくれました」

「そうか。お前たちも苦労したんだなあ」

他人事のように言うジェラルドに、ケリーはむかっ腹が立ってきた。

「お母さんが、あんなに苦労しなければいけなかったのは、お父さんにも責任があるんじゃないですか!」

「確かに僕にも責任があるけれど、仕事がなかなかみつからなくて、お母さんにあんなに毎日役立たずだとののしられたら、僕の方だって、堪忍袋の緒が切れるというものだ。まあ、離婚なんてものはね、一方的に誰かが悪いっていうものじゃないんだよ。離婚したことのない者にはわからないかもしれないけれど」

「ふうん。そういうものでしょうかね」

「お前は一度も結婚したことがないのかね」

「ええ。お母さんと一緒に暮らしていましたからね。それに研究のほうが忙しくて、結婚相手を見つける時間もなかったし」

「そうか」

話すこともなくなって、話が途切れたところで、ケリーは立ち上がった。

「じゃあ、僕はこれで失礼します」

「もう行くのかね。でもどこに住んでいるか分かったんだから、また近いうちに遊びにおいで」

ジェラルドは、車まで杖をついて見送ってくれた。ジェラルドの側にはレオーニーがいて、「また来てくださいね」と言って、車で走り去るケリーに手を振った。

ジーロングからメルボルンへの帰り道、ケリーはやっと遣り残したことを成し遂げたという充実感に満たされていた。一時は父親を恨んだこともあったけれど、今になって考えれば父も父なりの苦労をしたのだと納得した。そして、心の中でつぶやいていた。敵国の人間だったオーストラリア人と結婚した日本人の母。オーストラリアと言う、敵国だった国で、日本人としてのアイデンティティを隠すように、ひっそりと暮らした母。日本に住む親戚からも冷たくあしらわれ、オーストラリア居住の日本人からは、戦争花嫁として蔑すまれた母。それでも僕のために一生懸命生きた母を、僕は誰よりも愛し、尊敬している。僕は今では胸をはって、皆に言える。僕の母は、戦争花嫁でしたと。

翌年、ケリーはノーベル賞を受賞した。そのニュースが伝わると、新聞、テレビ、ラジオとマスコミから追いかけられる身になったケリーは、マスコミのインタビューに応じて、次のように語った。

「僕がノーベル賞を受賞できたのは、素晴らしい研究仲間がいたからです。そして、何よりも、母の励ましがあったからです。母は3年前に亡くなりましたが、母の励ましがなかったら、今日の成果を挙げられなかったことでしょう。母は、今でこそ日本では死語となった戦争花嫁でしたが、母は、僕に一流の教育を受けさせるために、多くの犠牲をはらってきました。その母の願いに答えられて、僕は非常に幸せです」

この新聞記事を読んだ読者の多くは、ケリーの母親は教育ママで、ケリーはマザコンだったのだと思ったのだが、ケリーの父親、ジェラルドだけは、ケリーの気持ちを理解できた。

「そうだよ、息子よ。お前のお母さんは偉かった」

 

 

参考文献 

Neville Meaney (2007) towards a new vision: Australia and Japan across time. University of New South Wales Press Ltd.

Kelly Ryan (2010)  True love triumphed for Digger Gordon Parker and his young wife Cherry.

 Herald Sun May/25/2010

Momento: National Archives of Australian. Winter 06. Australian women in the British Commonwealth Occupation Force (1946-1952)

Walter Hamilton. Children of the Occupation: Japan’s untold story

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ケリーの母(5)

次の日の朝、ビルは約束通り、ジェラルドの住所を書いた紙を持ってきてくれた。そして、一枚の写真をケリーに渡した。

「これは、あんたのお母さんとお父さんの写真だ」

そこには、軍服を着た若き日の父と、サザエさんのようなパーマをかけた髪形をして、白いブラウスと足元まで隠れるような紺の水玉模様の長いスカートをはいた母が、仲睦ましそうに寄り添って立っていた。

「それは、あんたに上げるよ。僕が持っていたって仕方ないから」と、ビルが言った。

ケリーはものめずらしそうにその写真をしばらく眺めていたが、「ありがとう。それじゃあ、もらっておきます」と言って、かばんの中にしまった。

清子は、ケリーが誠の運転する車に乗り込もうとすると、別れを惜しんで、ケリーの両手を握って、「また、来んさいよ」と何度も言った。

ケリーは、帰りの飛行機の中で、近いうちに父親を尋ねてみようと決心をした。

帰ってからも、大学に提出しなければならない書類の数々、助成金の申請、そして論文の締め切りなどに追われ、そのケリーの計画が実現したのは、日本から帰ってきて1ヶ月経ってからのことだった。

いざ手紙を書こうとすると、60年も会っていない父親に、どんな手紙を書けばいいのか迷い、しばらくペンを握ったまま、考え込んでしまった。「初めまして」などというのは、勿論おかしいし、「親愛なるパパ」とも書けない。結局は、書き上げてみると、無味乾燥な事務的な手紙になってしまった。

「私は、あなたの息子のケリーです。一ヶ月前に日本に行き、ビル・モーガン氏と会い、ビルからあなたの住所をもらいました。一度お会いしたいのですが、来月の週末で時間のある日をお知らせください。

 ケリーより」

ケリーは、手紙を投函したものの、この手紙が父親の手元に果たして届くだろうかと多少の不安を感じた。何しろ、ビルは父親とはこの5年間音信不通だといっていたのだから。父は、もう亡くなっているかもしれない。いや、生きているだろう。でも、生きていても老人ホームかどこかに入ってしまって、この手紙は届かないのではないか。そんなことを考えながら、返事を待った。ケリーの不安はすぐに消えた。手紙の返事が1週間もしないうちに来たのだ。

「ケリー

お前のことは、毎日思い出していたよ。お前は立派な学者になったようで、お前のような息子を持ったことを実に誇らしく思っている。

お前に手紙を書こうと何度も思ったが、お前を捨てたような形で別れてしまった私には、いまさら父親面して、お前の前に現れるのは気恥ずかしくてできなかった。

来月の最初の土曜日に我が家に来てくれないかね。正午に来れば、一緒に昼ごはんが食べれる。お前の腹違いの妹になるレオーニーもお前に会いたがっていたから、レオーニーを呼んで一緒に昼食を食べよう。

手紙をもらって、本当に嬉しかったよ。ありがとう。

それじゃあ、近いうち会えることを楽しみにしている。

ジェラルドより」

ケリーは、「父より」と書かないで、「ジェラルドより」と書いている父親の胸のうちを思いやった。きっと自分には父親と名乗る資格がないと思っているのだろう。

 

ジェラルドの家に行く日、ケリーは近くの酒屋に寄ってワインを買った。いつも誰かに食事に招待された時は、ワインを持っていく習慣があったが、その日は、高級なワインを3本買った。ケリーの覚えている父親は、ワインの好きな人だったからだ。その後、花屋に寄り、花束をレオーニーのために買った。

ジェラルドの家は、ジーロング郊外の静かな住宅地にある木造の小さな平屋だった。その家の前に車を停めると、心臓がどきどきしているのを感じた。まるで、入社試験を受けに行くような気持ちだった。ジェラルドはどんなに変わっているだろうか?妹のレオーニーは、どんな人間だろうか?いろんな想像を膨らませながら、家のドアをノックすると、待っていたかのように、ドアはすぐに開かれた。ドアの向こう側に立っていたのは、太った人のよさそうなおばさんだった。

「レオーニー?」と聞くと、

「ええ、私はレオーニーよ。ケリー、よく来てくれたわね」と言うと、レオーニーはケリーを抱いて、ほっぺたにキスをした。

ケリーが花束をレオーニーに渡すと、レオーニーは嬉しそうな顔をして、「ありがとう」と言った。

「お父さんが待っているわ」

レオーニーが案内してくれた客間には、髪の毛が薄くなった、やせ細った老人がソファに座っていた。そして、ケリーを見ると、嬉しそうな顔をして、

「ケリーか、よく来てくれたな」と、杖を突いて立ち上がろうとした。

「お父さん、そのままでいいよ。座っていて」ケリーは「お父さん」と言う言葉が自然と口をついて出たことに、我ながら驚いた。そして、ジェラルドの肩を抱いた。ジェラルドは、ケリーの体のぬくもりを感じながら、「お前もえらくなったな」と感慨深げに言った。そして、「お母さんは、元気かね」と、聞いた。ケリーは、すぐには答えられなかった。しばらくして、「お母さんは去年亡くなりました」とかすれるような声で答えた。ジェラルドは、ケリーのそんな様子を見て、「そうだったのか」とだけ、一言言った。

昼ごはんはレオーニーが作ったローストビーフだった。レオーニーは料理上手の陽気な女だった。

「私、一度あなたに会ってみたかったの。だから会えてうれしいわ。お父さんたら、あなたのことが書かれている新聞記事を見つけると、すぐに切り抜いて、スクラップブックを作っているのよ」

ケリーは苦笑いをしながら、

「そんなことを聞くと、なんだかスーパースターになったみたいな錯覚を受けるな」

「お父さんにとっては、あなたはスーパースターなんだもの」

二人の会話をニコニコしながら、ジェラルドは聞いていた。ケリーの持ってきたワインは、どんどん消費されて行き、いつの間にか3本が空になってしまっていた。

ケリーは酔って来ると、最初のぎこちなさがどんどんとれて行き、ジェラルドにどうしても聞きたくてたまらなかったことを聞いた。

「お父さんは、どうしてオーストラリアに戻ってきたんですか?どうしてビルのように、日本に残らなかったんですか?」

著作権所有者:久保田満里子

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