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さようならジョン(2)

ジョンは私の思惑など気にもしないふうで、持っている布で私の靴を磨き始めたではないか。あっけにとられて、そのまましばらく突っ立っていたら、

「磨き終わったよ」と言ってジョンが立ち上がった。

「いや、君の靴が余りにも汚れていて見苦しいから磨いてあげたよ」とこともなげに言う。  私は恥ずかしさの余り顔が真っ赤になり、「すみません。これから気を付けます」と言って、そのままトイレに駆け込んだ。胸の動悸が収まるまで5分はかかった。そのあと、おそるおそる社長室に戻ると、ジョンは何事もなかったように、電話で部下に指示を与えていた。そして靴に関しては、それ以降一切口にすることはなかった。

 しばらくして気が付いたのは、ジョンは身なりについて口やかましい人だということだった。靴を磨かれたのは私だけではないと仲良くなった同僚から聞かされ、あの時感じた恥ずかしさが半減したものの、あの日から、私は自分の靴を磨くことを日課にし、それ以来ジョンに靴を磨いてもらうという失態をしなくてすんだ。

 ある日も、部下と一緒に取引相手の人に会いに出かけることになった時、部下が、ネクタイなしのワイシャツ姿で現れると、不快そうに眉をつりあげ、

「ネクタイと背広はどこだ。外に出るときには、ちゃんとネクタイをして背広を着ろ。それが常識だ」と怒鳴った。

 日本だったら、ジョンの言うことはもっともだと思うが、ここはオーストラリアである。皆カジュアルな格好をしているので、それに慣れてしまっていた私は、ジョンはちょっと手厳しいのではないかと思った。

 それから、毎日思わぬハプニングがあり、退屈する日がなかった。

ある日ジョンは私に、

「来週の月曜日の午前は、何も予定を入れないでくれ」と言うので、

「どこかに出かけるんですか?」と聞くと、

「いや、社員の仕事を全部把握しておきたいから、来週の月曜日はサリーと仕事を入れ替わることにしたんだ」と言う。

「ということは、お茶くみをするということですか?」と言うと、

「そうだよ」と、こともなげに言う。

さすがにサリーはジョンの代わりに部下にいろいろ指示をすることはできないので、ジョンのお茶くみの監督をすることになった。

その当日、お昼頃に社長室に現れたジョンは、汗をたらたら流しながら、

「疲れたあ!こんなにお茶くみがきつい仕事だとは思わなかったよ。サリーは僕の2倍は働いているよ」と、汗を拭きながら、社長室のソファーに倒れこむようにどっかりと座りこんだ。それ以降、ジョンはほかの社員と仕事を代ろうとは言わなくなった。お茶くみの仕事がこたえたらしい。

 

著作権所有者:久保田満里子

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さようならジョン(1)

私がジョンと会ったのはもう10年も前のことである。その頃、オーストアリアの大学を卒業して就職口を探していた私は、日本への輸出入品を取り扱っている貿易会社で、社長秘書を募集していると日本人会に加入している友人から聞き、応募したのだ。面接に来いと言われ出かけて、社長室に通された時、ジョンは窓際にある大きな机の椅子から立ち上がり、私を迎えてくれた。背が高く、頑丈そうな体をしているジョンから、エネルギーがムンムンと立ち込めているような印象を受けたのを今でも覚えている。ジョンは、「ハロー」といいながら、握手の手を差し伸べてきたが、その手は厚みがあり、温かかった。緊張して、ジョンの前にそのまま突っ立っていた私に、「そこに座って。そんなに緊張しなくてもいいよ。別に君を煮て食おうというわけではないから」といたずらっ子のように、にっこりと笑った。私はジョンの笑みで少し緊張感が和らいだ。私の方は、英語と日本語のバイリンガルであるということと、コンピューターが少々使えるというくらいで、ほかには何も資格がなかったが、即採用になった。

 仕事は2週間後から始めてくれということだった。リリーという社長秘書が出産のためやめることになり、その後釜に私が採用されたということで、リリーから仕事の内容の引継ぎがあった。その時リリーから「ジョンは整理整頓が好きな人だから、ファイルだけはしっかり保管してね」と耳打ちされた。

 2週間後、初めての出勤日、私はリリーからのアドバイスを念頭に置いて、社長の机の上を整頓しようと早めに出勤したが、社長室の机の上にはきれいに整頓されていて、私が手を入れる必要はなかった。

 朝、ジョンのその日のスケジュールを確認し、ジョンから頼まれた書類の整理をして、ジョンに来客があるとお茶を入れて、初日は無事に終わった。

  二日目も朝8時に出勤した。自分が一番早く来たと思っていた私は、社長室から音楽が流れているので、ジョンはすでに来て仕事をしているのかと思い、ドアをノックした。しかし音楽の音でノックが聞こえないのか、中から返事がない。仕方ないので、そっとドアを開けると、部屋の中では思わぬ光景が展開されていた。ジョンが、ジョンよりは10歳は年上と思われる、背が低くて太っちょの女性と二人でダンスをしているのだ。ジョンの相手をしているのは、はっきり言って、女としての魅力に乏しい女性だった。二人とも夢中でワルツを踊っていて、私が部屋に入ったことに、すぐには気づかなかった。5分くらい過ぎたところで、ジョンは私の存在に気づき、「やあ、キーコ。朝早くから出勤したんだね。ご苦労様」と、私に笑いかけて、ダンスをやめた。そして、一緒に踊っていた女性を紹介してくれた。

「そういえば、キーコはテレサに会うのは、初めてだね。こちらは、テレサ。うちのお茶くみをしてもらっている」

そしてテレサに向かって、「こちらは昨日から僕の秘書をし始めたキーコだ」と紹介してくれた。私たちは握手をしたが、私としては、ジョンとテレサがどういう関係なのかすぐには把握できず、すこし居心地が悪かった。それに社長とお茶くみの女性の組み合わせは、奇妙に映った。それから、毎週月曜日の朝は、ジョンとサリーのダンスの練習は続いた。

 勤め始めて一週間たった頃、朝出勤してきたジョンに、「おはようございます」と挨拶をすると、ジョンは「キーコ、そのまま立っていて」と言って、引き出しから何か布切れのようなものを取り出すと、そのまま立っていた私の前に、ひざまづいた。

「え、これ、なんのまねなの?」

 私は一体ジョンが何をするつもりかわからず、驚きで体を硬くした。

著作権所有者:久保田満里子

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結婚相手(最終回)

その日、大村が連れて行ってくれた店は寿司店だった。

「実は先日工藤さんを町で見かけてね。声をかけたら、婚約したって言って、婚約指輪をみせてくれたよ」

「え、彼女、結婚するの?」

「そう。君もそうだろうと思うけど、僕も彼女の退職はこたえたんだけれど、彼女のそんな姿を見て、やっと胸のつかえがとれた思いだよ」

それを聞くと、私もほっと溜息をついて、

「それを聞いて私も心が軽くなったわ」

にっこり笑った私を見て、

「君の笑顔見るの、一年ぶりだな」と大村は言い、姿勢を正して、

「僕と結婚を前提に付き合ってもらえませんか」と、真剣なまなざしをなげかけた。

私は、幹江が婚約していると聞いた後、今まであった大村に対するわだかまりがとれ、素直に頷いていた。幹江に言われるまで大村の事を男性として意識をしたことがなかったのだが、幹江が退職した後、大村は、腹立たしいながらも、気になる存在になっていたのだ。しかし、そうかといって大村に近づくことはためらわれた。幹江に悪いと思ったからだ。でも、幹江が幸せに暮らしているのなら、私が彼女のことを気遣うことはない。

 それから一年つきあった後、私たちは結婚した。

 

 結婚して分かったことは、大村がマザコンの気があることだった。毎日姑が家に遊びに来るのには閉口して、時折口論になったが、その姑も私たちが結婚して10年目に亡くなり、それ以降、私たちの結婚はたいした波風もなく27年の月日が過ぎていった。結婚2年目で生まれた一人娘の真奈美も、25歳になった。真奈美は、2年間中学校で英語教師をしていたが、本格的に英語を学びたいと、1年間オーストラリアに留学した。その真奈美を空港に迎えに行って、私は真奈美の左の薬指に小さな指輪を見つけた時、一瞬胸がどっきりした。

私は、「向こうで結婚相手を見つけたの?」と聞いた。真奈美とはメールやスカイプで頻繁に連絡を取り合っていたが、結婚相手を見つけたなんて、一言も言わなかった。

「そうなの」

ちょっと、はにかんだように真奈美は言った。黙っていたのを悪いと思ったのかもしれない。

 婚約したとなると、すぐにどんな相手か気になる。もしかしたら、相手はオーストラリア人?だから私たちに言えなかったのではないかと、気をまわしてしまう。

「相手は、オーストラリア人なの?」と、一番気になることを聞くと

「いいえ。日本人よ。彼も私と同じ大学に日本から留学していたの。藤原俊介っていうの」

「そう」

 私は、相手が外国人でないことを聞いて内心ほっとした。それは、オーストラリア人に対する偏見からではなく、単に、一人娘に外国に住まわれては困ると思ったからだ。真奈美は、「写真、見る?」と聞くので、「勿論よ」と答えると、携帯に写っている写真を見せてくれた。そこには、健康そうな白い歯を見せたなかなかハンサムな好青年が写っていた。

「何をしている人なの?」

「経営学を勉強していたわ。日本の企業から研修で、送られてきていたの」

ちゃんとした職を持っている青年と聞き、私はますます藤原俊介と言う青年に好意を持った。

「今度彼の両親と一緒に食事をしようと、彼が言っているんだけれど、どうかしら?」と真由美が言うので、私たち夫婦は一も二もなく、すぐに賛成した。どんな青年なのかと、私も夫も、一緒に会食する日を、期待と不安が入り混じった気持ちで待った。

 ホテルで夕食を一緒にすることになったので、その日は美容院に行き、私としては目いっぱいおしゃれをして出かけた。勿論真奈美より目立たないように気を付けたが、そんなことに気を配らなくて、若くて上背のある真奈美は、どっちに転んだって、私よりは魅力があると夫に言われてしまった。

 ホテルのフランス料理店に行くと、相手はすでに来ていた。私たちの姿を見ると、藤原俊介と俊介の両親は席から立ちあがって、挨拶をした。俊介の母親が「藤沢幹江です」とお辞儀をし、顔を上げたところを見て、私も夫もびっくりして一瞬声を失った。その顔は、まぎれもなく工藤幹江だったのだ。

著作権所有者:久保田満里子

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結婚相手(2)

 会社が終わるとすぐに喫茶店にかけつけた。大村はその3分後に姿を見せた。

「一体、工藤さんに、どんな返事をしたの?あんまり良い返事をしたようには見えないけれど」

大村は、私の質問を無視して言った。

「ねえ、君、僕の事をどう思っているの?」

「なぜ私の話がここにでてこなければいけないの。今は工藤さんの話をしているのよ。工藤さんをどう思っているの?」

大村はため息をつきながら、

「正直。僕のタイプじゃないね」と言う。

「どうして?」

「あの子、内気で暗いんだよなあ。それによく病欠するだろ。体も弱そうだし」

「と、いうことは、嫌いなわけね」

「まあ、率直に言えば、そうだ」

「じゃあ、あなたの好みのタイプってどんな女性なの?」

そう聞くと、待ってましたとばかりに大村の答えが戻って来た。

「君みたいな女性」

意外な答えに、私は一瞬言葉を失った。

「工藤さんには、どう言ったの?」

「僕は白川さんが好きだと正直に言ったよ」

「えっ?」

それで、今朝の幹江の言葉の謎がとけた。

「私は、あなたのことを何とも思っていませんからね。工藤さんに変な誤解をさせるようなことは、言ってほしくなかったわ」

 そう捨て台詞を残して、私は席を立って、喫茶店を出た。

 幹江は私が裏切ったとうらんでいるだろう。そう思うと、翌日から会社に行くのがつらくなった。一瞬会社をさぼろうかと思ったが、さぼったところで、何も解決しないと、重い足を引きずりながら、翌日出勤した。

 おそるおそる幹江の席を見たが、幹江は来ていなかった。少しほっとした。その日、結局幹江は来なかった。その日は、幹江と顔を合わさずに済むことを感謝しながら、一日をすごした。大村の方には目もくれなかった。

 幹江は次の日も欠勤した。そして、その次の日も。幹江の姿が見えなくなって一週間たったとき、朝会で、支店長から幹江が退職したことを知らされた。

 私の胸の中で、幹江に対しての悪いことをしてしまったという思いがふくらんだ。でも、自分のせいではない。大村が悪いんだと、大村に責任を押し付けようとする自分もいた。私は、幹江の退職以来、おしゃべりな女から寡黙な女に変身した。幹江の退職は、大村にも衝撃を与えたようで、大村の席のほうからも、いつもの活発な声が聞こえなくなった。

 幹江が退職して一年たったころ、珍しく大村が私の席に来て言った。

「話したいことがあるんだけれど、今晩一緒に食事できないかな」

なんだか、幹江の言葉を思い出した。幹江も一年前、私に同じような言葉で誘った。

一瞬迷ったが、結局、誘いに乗ることにした。大村が言いたいことに興味をもったからだ。大村は何が言いたいんだろう?

著作権所有者:久保田満里子

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結婚相手(1)

「今晩、時間があったら、夕食、一緒にしない?」

突然、余り親しくもない同僚の工藤幹江から言われて、私は一瞬とまどった。しかし、断る理由は何もない。金曜日の夜だと言うのに、私はデイトする相手もいない。それに、一人暮らしの私は、晩御飯を作ってくれる人もいないから、たまには同僚と食事をするのも悪くないと思い、「いいわよ」と答えた。

  その日幹江に誘われて行ったのは、イタリア料理のしゃれた店だった。

「この店のラサンニャ、おいしいのよ」と、幹江に言われ、私もラサンニャを注文した。

 幹江は、会社でもおとなしい感じの女性だったが、私と二人きりになっても、口が重く、もっぱら私が話し手になった。私を誘ったのは、何か話があったのだろうが、幹江が私を誘った理由についてなかなか話そうとせず、やっと口を開いたのは、ラサンニャを食べ終わった頃だった。

「白川さんは大村さんとは同期でしょ?大村さんの事、どう思う?」

大村は私と同じ25歳。スポーツマンで健康そのものの快活な青年だった。

「大村さん?素敵な人がと思うけど、どうかしたの?」

「白川さんは彼の事、好きなの?」と真剣な顔をして、幹江は私の心の奥底まで覗き込むようにまっすぐ私の目をみながら、聞いた。

「好きっていえば、好きかな。でも友達として好きだっていう意味で、あんまり彼に対して男性を意識したことないわ」

「そう。よかったわ。実はね、私、大村さんの事、ずっと好きだったの。でも、自分の気持ちを告白して断られるのがこわくって、人知れず悩んでいたの。それに白川さん、大村さんと親しそうだったし…」

「そうだったの。私は、彼の事、特にどうこう思ったことはないわ。だから私に遠慮することないわよ」

「でも、自分で告白する勇気がないの。白川さんの方から、大村さんに、私の気持ちを伝えてもらえないかしら」

「そう。いいわよ」

「ありがとう、白川さん」と幹江は、私の手を握らんばかりに喜んだ。

私は、誰かのために何かができると思うと、心の奥底でちょっぴり自分自身を誇らしく思った。

「私から、どんなことを言えばいいかよく分からないから、あなたが手紙を書いてくれたら、それを渡す、キューピット役になってもいいわよ」

「そうしてくれる?実は、もう自分の気持ちをしたためた手紙、用意しているの」と、幹江は、可愛いピンクの封筒を私に渡した。

「じゃあ、来週の月曜日に、大村さんに事情を話して、手紙渡すわね」

「ありがとう!」

 私たちは、幹江の成功を祈って、二人で乾杯した。

 週末は落ち着かない気持ちで過ごしたが、幹江は自分よりももっと落ち着かない気持ちで過ごしていることだろうと思いながら、月曜日を待った。

 月曜日は、いつもより10分早く出勤し、大村を捕まえようと、入り口から目を離さなかった。とはいえ、20人ばかりしかいない銀行の支店で、皆が大部屋で机を並べて仕事をしているので、大村が来たかどうかは見張らなくても分かるのだが、私は一刻も早く自分の役目を実行したいと待ち構えていたのだ。始業5分前の8時25分に、やっと大村が現れた。

大村が席に鞄を置いたのを見るや否や、私は大村に近づいて、

「ちょっと、話があるんだけれど、昼休み時間ある?」と聞いてみた。

大村はちょっと驚いたように私の顔を見たが、すぐに笑顔になって

「いいよ」と答えた。

「じゃあ、向かいの喫茶店で12時半ね」

私は目の端に、幹江の期待の入り混じった顔を見て、思わず幹江に向かってにっこりした。

 大村は約束通り、喫茶店に12時半かっきりに現れた。

「アメリカン」と大村はウエイトレスに注文すると、私の顔をまっすぐ見て、

「話ってなんなんだ」と聞いた。

「実はね、工藤さんの事なんだけれど、大村さん、工藤さんの事を、どう思う?」と、私はは早速話の核心に迫った。昼休みはそんなに長くないから、悠長に話してはいられない。

「工藤さん?」大村は意外な顔をした。

「どうして、白川さんが僕にそんなことを聞くの?」

「実はね、工藤さんに、キューピット役を頼まれたのよ。彼女、あなたのことを好きでたまらないみたいよ。彼女から手紙を預かっているから、これ、あとで読んでね」と、幹江の手紙を渡すと、大村はじっと手元の手紙を見て、

「僕、これ、受け取れないなあ」と苦り切った顔をして言い出したので、私は慌てた。

「そんなこと言われちゃ、困るわ。私、あなたと工藤さんの仲介を引き受けたのよ。それじゃあ、私の立場がなくなるじゃない」

私はつい声を荒げて言ってしまった。

 大村は、私のそんな態度に驚いたようだった。唖然としている大村を残して、私はあわただしく喫茶店を出た。

「冗談じゃない。手紙を突き返されては、私の立つ瀬がないじゃない」と、私は口の中でぶつぶつ言いながら、足早に、会社に戻った。会社に戻ると、すぐに幹江が私の所に寄って来た。

「どうだった?」と不安げに聞く、幹江を見て、とてもじゃないけれど、大村が手紙を読みたくないと言ったことを、伝える勇気は出てこなかった。

「う~ん。どうかな。ともかく手紙を渡しておいたから、そのうち彼から何か言ってくると思うわよ」

「そう。ありがとう」

 私はその日の午後の仕事は思うようにはかどらなかった。それと言うのも、大村の煮え切らない態度が腹立だしかったからだ。大村は時折、ちらちらと私の方を見ているのを感じられたが、無視することにした。

 それから2日。大村にも幹江にも変化が見られなかった。しかし、3日たった朝、私が出勤すると、幹江が、すぐ私のところにとんで来て、

「白川さん。ひどい」となじると、小走りで去った。

 私は狐につままれた感じだったが、大村との間に何かあったのだろうと、想像できた。それも良くない結果になったようだ。

 私はつかつかと大村の所に行った。

「大村さん。話があるんだけれど」と言うと彼も

「僕も君に話がある。会社が終わったら、また向かいの喫茶店で会ってくれないか」と言う。

「いいわ。じゃあ、またあとで」

一日中浮かない顔をしている幹江を見て、私は何とかしてあげなくてはという気持ちになっていた。

著作権所有者:久保田満里子

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サンドラの誓い(最終回)

その週末、サンドラは久しぶりにアランの母親のモーリーンに会いに行った。アランが亡くなってから、ほとんど会うこともなくなっていたので、突然のサンドラの訪問にモーリーンは驚いたようだった。

「まあ、サンドラ、久しぶりね。入って頂戴」

「ええ、お久しぶりですね」

モーリーンは、サンドラを抱きしめ、暖かく迎えてくれた。

「今日は、アランの命日でも、誕生日でもないはずだけれど、何かあったの?いい人ができて、結婚でもするって報告かしら?」

モーリーンは、笑顔を浮かべて言った。

「いいえ。残念ながら、まだそんな報告ができるほど元気になっては、いません」

「もしもアランのことで、なかなかいい人が見つからないのなら、そんなこと気にしなくていいのよ。アランだって、あなたが一人でいるより、誰かと一緒になってくれるほうが、心が休まるはずよ」

「ええ、モーリーン、ありがとう。実は、先日アランが死ぬ原因になった男と会ったんです」

「えっ?見つかったの?」

「見つかったわけではなく、車に轢かれて私の病院に来たんです。ちょうど私が当直だったので、その男を治療するはめに陥ったのですが」

「ええ、そうなの。それは、つらかったでしょうねえ」

モーリーンは、どこまでも善意の人なのに、サンドラは驚かされた。普通なら、そんな男は治療する必要はないと言うだろうに。善意のかたまりのようなところは、本当にアランと似ている。

「本当に、その男の顔を見たとき、治療をするのを放棄したくなりました」

「それで、放棄したの?」

モーリーンの声には、放棄をすることに対する非難じみた響きがあった。

「いいえ。でも、どうしてアランのような未来のある素晴らしい人が死に、飲んだくれのホームレスのような中年男が助かるのか、私には納得いかない気持ちでいっぱいでした」

そう言うと、サンドラは、その時の気持ちを思い出したようで、下唇をかんだ。

「でも、その男に娘がいて、娘にとってはかけがえのない父親だと知ったとき、その男の命がアランの命と同じくらい大切だと、気がつかされたんです。その時の気持ちを、あなたに話したくて来たんです」

「そうなの。ありがとう、来てくれて。あなたがアランを今でも愛していてくれることには感謝しているわ。でも、きっとアランは、あなたがその男を許せた気持ちになってくれたことを、とっても誇りに思っているに違いないわ」

モーリーンはサンドラの手を握って言った。

サンドラは、モーリーンに会いに来てよかったと、つくづく思った。そして、モーリーンの言うように、アランがあの男に対する憎しみから解放されたことを喜んでくれていると、確信した。そしてサンドラは、自分に誓った。これからどんな患者とでくわすか分からないが、どんな患者に対しても全力を尽くして治療にあたると。

                  完

 

著作権所有者:久保田満里子

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サンドラの誓い(2)

その男の顔を今見たのである。サンドラは胸の動悸が高くなるのを感じた。その男の息は酒臭かった。また、酒に酔って、道路に飛び出たのだろうか。

「この男のために、アランは死んだ。こんな男のために!」

サンドラは消そうとしても何度も湧き上がってくる憎しみを抑え切れなかった。

「サンドラ、モニターをつけたので、治療の開始をお願いします」と看護師に言われるまで、体が動かなかった。

看護師の、「サンドラ、どうかしたの?」と言う言葉に、我に返った。

いつものように、患者の意識を確かめることから始めた。

救急隊員から聞いて、その男の名前がブライアンだいうことを知った。

「ブライアン、聞こえますか?聞こえたら、私の手を強く握ってください」

ブライアンの手がわずかに動いた。

「まだ意識はあるようだわ」

そう言うと、サンドラは、あの忌まわしい事故のことを頭からふるい落とすために、治療に集中した。心臓マッサージをし、点滴をすると、モニターの波動が正常に動き始めた。これで、容態は安定するだろう。しかし、頭を強く打っているということだから、MRIをとる必要があるだろう。

「まだ予断を許さないから、集中治療室に移して、様子をみましょう」と、サンドラは、通常の数値にもどった脈を示すモニターの画面に目をむけながら看護師に指示をし、ブライアンの血のついた白衣を脱ぎ、治療室をでた。疲れた。どうしてこんな男のために治療をしなければならないかと思うと、腹立たしかった。治療室を出ると、すぐに後ろから声をかけられた。

「あのう、父の容態はどうでしょう?」

振り向くと、30歳代の女が立っていた。その女は、やせ細って、見るからに貧しそうな身なりをしていた。

「お父さんって、ブライアンさんのこと?」

「はい、そうです」

その女は遠慮がちに答えた。

「一応容態は安定しましたが、まだ脳の状態を検査することができないので、脳がどのくらい損傷しているかは、分かりません」

この女があの男の娘かと思うと、答える声もぶっきらぼうになっていた。

「そうですか。父に会えるでしょうか?」

「今から集中治療室に移して様子を見なれければいけませんから、まだ面会の許可をおろすわけにはいきません。治療室の窓越しには、見えますが」

「そうですか?」

女は不安そうであった。

「集中治療室は3階の奥にありますから、そちらのほうに行ってください」

そう言うと、サンドラはさっさとまた仮眠をとるために部屋に戻っていった。

サンドラは30分もしないうちに、また起こされた。

「サンドラ。ブライアンの容態が悪化しました。すぐに来てください」

サンドラは、今度は睡眠をさまたげられたことに対する苛立ちよりも、あんな男をどうして自分が救わなければいけないのかと思うと、腹が立ってきた。

集中治療室にかけつけると、さっき見た女が、窓にしがみついて必死の形相をしている。女はサンドラを見ると、

「先生。父を助けてください。酒飲みでぐうたらな父ですが、それでも私にとっては大切な父なんです」

この言葉を聞いたとき、突然アランを失ったときの悲しみが、雷に打たれたようにサンドラの全身を貫いた。この女にとって、こんなぐうたらな男でも、大切な人なのだ。この男が死ぬと、私がアランを失ったときと同じ悲しみをこの女は味わなければいけなくなる。そう思うと、今まで抱いていたブライアンに対する憎しみがすうっと消えて、この男を助けなければいけないと言う気持ちが湧き上がってきた。アランだって、人の命を救うことに使命を感じていたのだ。アランの命が、ブライアンの命より価値があると思うと、誰が言えよう。そう思い直すと、サンドラは、女に向かってやさしく言った。

「大丈夫です。きっと、助けますよ」

それから、サンドラは、AEDを充電し、ブライアンの心臓に当てた。ブライアンの胸がはねあがったが、まだ心臓は動かない。もう一度AEDを当てた。すると、心臓がまた鼓動を打ち始めた。サンドラの額は緊張で汗びっしょりになっていた。

治療室の外に出ると、女がサンドラに、

「先生、ありがとうございました」と言った。その目は涙で光っていた。

その涙を見て、サンドラは、ブライアンに対する憎しみの塊が心の中でとけて、ブライアンを助けなければいけないという決意を新たにした。

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サンドラの誓い(1)

サンドラは仮眠をしているところを起こされ、頭がボーッとしていた。インターンを終え、やっと一人前の医者になれたのだが、病院勤務をしていると、インターン上がりの医者は医者の階級では一番の下っ端。宿直などは人手が足りないときには、すぐに割り当てられる。今晩も本当は宿直の予定はなかったのに、宿直担当の医師が急用ができ、宿直できないというので、急遽サンドラにその役目がまわってきたのだ。

「サンドラ。今交通事故にあった男が救急車で運ばれてくると連絡があったわ」

看護師に言われて、慌てて白衣を着て、足早に治療室に向かった。

今晩は比較的静かで、このまま仮眠ができるかと思ったのにと思うと、残念な気持ちがした。

 サンドラが治療室で待っていると、5分もしないうちに、あわただしい人の足音と、ストレッチャーのガラガラという音が、病院の静寂さを破った。そして、治療室のドアがばたんと開いたかと思うと、すぐに運び込まれた怪我人はストレッチャーからベッドに移され、救急隊員の血圧や脈数などの報告が治療室に大きく響き渡った。

「車にはねられ、頭を強く打ったもようです」

その報告を聞きながら、ベッドに横たわる男の顔を覗き込んだサンドラは、ハッとなり、一瞬息を呑んだ。頭の髪の毛に血がこびりついていて、形相は変わっていたものの、その男の顔は、サンドラにとって忘れようにも忘れられない顔だった。

 

2年前のことだった。医学生だったサンドラには同級生のアランと言う恋人がいた。二人は5年越しのつきあいで、インターンを終えたら結婚しようと話し合っていた。アランは、医者になったら、「国境なき医師団」という慈善団体に入り、貧しい国の人々の医療に当たりたいという夢をもっていた。サンドラもそんなアランを心の底から尊敬し、彼と一緒に働きたいと願っていた。

大学の卒業を間近に控えたある晩のことだった。二人は同級生の誕生日パーティーに呼ばれた帰り道のことだった。突如、アランの運転する車の前に、酒に酔った50代くらいのホームレスのようなきたない身なりをした男がよろよろと現れたのだ。アランはとっさにその男をさけようとハンドルをきったのだが、車は道路わきの木にぶつかり、ドカーンと大きく音がした。そのあとの記憶はサンドラにはない。サンドラが目を覚ました時、頭が固定されていた。頭を負傷したのだ。だからサンドラが、事故のことを思い出すのに少し時間がかかった。しかし、その事故の記憶が鮮明によみがえってきたとき、サンドラは側にいた看護師に聞いた。

「アランは、無事ですか?」

それを聞くと、看護師は悲しそうに頭を左右に振った。

「え?アランが死んだ?そんなことないでしょう?うそでしょう?」

サンドラは看護師の答えを信じられなかった。それから半狂乱となったサンドラは鎮静剤を打たれて、またコンコンとした眠りに陥った。

サンドラが落ちついた時に聞いた話では、救急車がきたときには、あの道路に突然出てきた男の影も形もなかったそうだ。サンドラもヘッドライトに映し出されたその男の顔は、一瞬しか見なかったが、脳裏に焼きついていた。そして、あの男さえ道路に出てこなければ、アランはまだ生きていたのにと思うと、自分の怪我の痛みより、その男に対する憎しみが、胸のうちに膨らんでいった。


著作権所有者:久保田満里子

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知美の闘病記(2)

 いよいよ手術の日。知美は、手術の前夜は不安で眠られないのではないかと思っていたが、疲れていたのかぐっすり眠ったのには、自分でも驚いた。朝7時半に朝子が迎えに来てくれ、朝子の車で病院に着いたのは朝8時だった。入院の手続きを済ませると、朝子はまた夕方見舞いに来るからと言って帰って行った。一人残された知美は緊張感で身がしまった。待合室に入ると、すぐに着替えるようにと、ガウンとパンツを手渡された。脱いだ服はロッカーに入れるように言われたので、入院するために持ってきた荷物と一緒にロッカーに入れた。ガウンは白くてひもがいくつかついて結ぶようになっていたが、ひものある方が後ろか、それとも前か、迷ったあげく、ひもがある方を後ろにきた。

  手術前の待合室は患者で溢れていたが、雑誌を読んでいる人、人と話している人など、どの人も大して不安がっている様子もない。手術は初めての知美は、他の患者の落ち着き払った顔に驚きを覚えた。おどおどしているのは自分だけだ。この時ばかりは知美は自分は本当に臆病者だとつくづく思った。10分くらい待ったところで、薬剤師に小部屋に連れていかれた。そして服用している薬の有無を聞かれ、アレルギーはないか聞かれた。「アレルギーは、ありません」と答えた後、絆創膏をつけてかぶれたことを思い出し、慌てて「そういえば、絆創膏にかぶれます」と答えた。そのあと、足にきつくて一人では履けそうもないソックスをはかせられた。足に血栓ができるのを予防するためだそうだ。ロッカーのカギを渡すと、薬剤師は知美の名前の書いてあるファイルに入れた。

 いよいよ手術の時間も迫ったころ、ベッドに寝かされ、両足にマッサージ器がとりつけられた。これも足に血栓ができないようにするための処置なのだそうだ。マッサージ器が動き始めると両足がゆっくりと絞られる感じ。痛いような痛くないような微妙な感覚だった。

「雑誌、読む?」と言われ「はい」と答えると、女性週刊誌が手渡された。そういえばメガネは服を着替えるとき、ロッカーに一緒にしまったことを思い出した。活字は読めないが、写真だけは見えるので、写真だけを見ていると、「ハーイ」と元気のよい声がして、若い女性が現れた。「私、麻酔医のマージよ。よろしくね」と言う。

「手術中、あなたをモニターしているから安心してね。あなた金歯はある?」

「いいえ」

「じゃあ、よかったわ。口から管を入れるからね、金歯だと傷つける恐れがあるのよ」

 知美は入院するのが初めてだったので、それまで麻酔が歯に影響を及ぼすなんて知らなかった。麻酔さえかけてもらえば、手術は知らぬ間に終わってしまうと気楽に考えていただけだった。

 手術室にガラガラ移動用ベッドが引っ張られて、連れていかれた手術室では、緑色のキャップをし緑色の外科医用のエプロンをかけた外科医が待っていた。

「今日手術をするのは右だったっけ?左だったっけ?」と知美は聞かれ、間違ってしこりのないほうを手術されたら大変だと思い、あわてて「右です」と答えた。外科医が、放射線測定器を知美の乳房に近づけると、測定器は「ガーガー」となり始めた。すると、外科医は満足そうにうなづき、「これでリンパ腺がどこを通っているか分かるわ。癌が転移していないかわきの下のリンパ腺の細胞を少し切り取りますからね」と言った。「お願いします」と言うと、傍らにいた麻酔医が腕に注射した。すると、すぐに知美の意識はなくなっていった。

 

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知美の闘病記(1)

「乳がんでした」と言う医者の言葉が電話口から聞こえた時、知美はガーンと頭を金づちで殴られたような気分におちいった。乳房にマスカットの粒大のしこりを見つけたのは半年も前のことである。すぐにエコー検査をし、マモグラムの検査もした結果、「何かにぶつかって、衝撃を受けてできたこぶのような物でしょう」と説明されたが、別に物にぶつかったような記憶はなかった。そのしこりは3か月たっても小さくなるどころか段々大きくなるばかり。不安を感じて、メルボルン一と定評のある外科医を紹介してもらった。その外科医との予約は3か月先になると言われたが、仕方ないので3か月待った。

「3か月も待たなければいけないのよ」と、皮膚がんになった経験のある友達にこぼすと、「僕なんか半年待たされたよ。名医ともなれば、皆見てもらいたがるからね。待たされるんだよ」

 そう言われてみれば、その外科医は最近有名な歌手を治療して評判になっていたので、納得せざるをなかった。3か月たって、やっとその外科医に会うと、すぐに細胞検査をするようにと言われた。その検査の結果を知らされたのだ。だから、癌と判明するのに半年もかかったと言うわけだ。

「そうですか。それでは今からそちらに行きます」という知美には、母親が胃がんの痛みでのたうち回って苦しんだ姿が目に浮かんできた。母親は38歳で死んでいる。知美も、あの母親と同じように激痛の苦しみを味わなければいけないのかと思うと、気が滅入った。

 不安な気持ちで、医者の前に座ると、ふくよかなどこにでもいるようなおばさんと言った感じの外科医は淡々とした優しい声で、知美に検査の報告書を見せながら、検査結果を説明してくれた。

「あなたの癌はまだ4ミリくらいの小さなものだから、転移しているとは思えません。もちろんはっきりしたことは、癌を取り除く手術の時に、リンパ線の一部を切り取って、精密検査をしなければ分かりません。もし転移していないと仮定すると、あなたの治療法は、手術、放射線治療、そしてホルモン治療となります」

「あのう、私、死ぬのはこわくないのですが、痛い治療はごめんこうむりたいのですが」と知美がおそるおそる言うと、医者はにっこり笑って、

「抗がん剤を使ったキモセラピーは、髪の毛も抜けるし吐き気がしたり気分が悪くなるという副作用がありますが、あなたにはキモセラピーは必要ないでしょう。もっとも精密検査の結果が出るまで断言できませんが。放射線治療の副作用は、日焼けをすることと、疲労感に襲われることくらいです。キモセラピーのように気分が悪くなるということはありません。それに治療しているときも、痛くもかゆくもありませんよ。ホルモン治療は、薬を飲むだけですからね。痛くないから大丈夫」と太鼓判を押してくれた。医者のその微笑を見て、知美の不安はけしとんだ。

 手術は早いほうが良いと言うので、手術の日は4日後になった。手術後入院するのは一泊だけと言われ、長い闘病生活を考えて気が滅入っていた知美の心を少し軽くした。独身の知美は、退院した後のことが心配になり、近所に住む独身の友達、朝子に連絡した。普段は気が強いと思われている知美も、この時ばかりは心細くなっていた。

 知美が入院のことを話すと、「まあ、大丈夫なの?」と朝子は驚き、すぐに飛んできてくれ、病院への送り迎えを頼むと、快く引き受けてくれた。

 翌日知美のもとに乳がん患者を支援する会から小包が届いた。開けてみると癌治療の説明書、リハビリのための運動のDVD,手術後用のブラジャー、記録をとるための闘病日誌などが入っていた。乳がんに対する寄付活動は盛んなのは知っていたが、こんなにも支援があるのかと、びっくり。そのあと看護師から電話がかかり、これからの治療について詳しく説明された。医者から、どこにリンパ腺が通っているか知るために、手術の前日に放射線物質をリンパ腺に注入するように言われていたが、その看護師から、「その注射、痛いので覚悟しておいてね」とくぎをさされて、知美はまたまた恐怖に陥った。

「あのう、痛み止めをあらかじめ飲んでおいてもいいでしょうか?」とおそるおそる聞くと「それは、かまいませんよ」と言われ、早速薬局に行って、強力な痛み止めを買って、備えた。その時、入院の手引きに書いてあったように、病院に持っていくために薬局でいつも買う薬のリストをプリントしてもらった。知美は、高血圧とコレステロールの薬を飲んだいた。知美も60歳になったとき、医者からすすめられて、この5年間飲み続けている。

 知美は手術の前日、病院の放射線科の小さな部屋に通されて、仰向けに寝かされた。医者は、「悪いけれど、右手は背中に回して」と言う。「どうしてですか?」と言う知美に、医者は本気とも冗談ともとれるような口調で「だって、痛いからって殴られたら、たまらないもの」と言う。

 知美は、『ええっ、そんなに痛いものなの?』と不安の波が押し寄せ身を固くした。いよいよ注射の針が皮膚を突き刺し、放射性物質が、乳房全体に広がっていくのが感じられたが、思ったより痛くなかった。麻酔薬を打たれるときのちくっとした感覚が長引いたという感じだった。痛め止めが効いていたせいかもしれない。

 家に帰った後、明日は手術だと思うと、知美は鏡に映った自分の乳房を見て、この乳房とお別れだと言う感慨に襲われた。いつだったかオーストラリア人の女医さんから「まあ、小さな乳房ね」と言われたが、それでも、いとおしく感じられた。だから、もう二度と同じ形が見られない乳房を記念として携帯で写真に撮った。少しセンチメンタルな気持ちにおちいっていた。

著作権所有者:久保田満里子

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